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マリア・コニコヴァ『The Confidence Game』

これほど詐欺が盛んなのは、ある意味、 私たちが求めているからだ。 私たちは彼らの話を信じたいし、なにより「うますぎる話」 を信じたい。 詐欺とは、お金や愛ではない。 信念だ。 私たちは賢い投資家で、恋愛対象者を見る 目もあるし、すこぶる評判も良い。 つまり、 何か良いことが起こる人間だ。私たちが生きているのは不思議に満ちた世界で、不安と消極性が蔓延する世界ではない。 幸せを待っている者のところに幸せがやってくる世界に生きている。こうして詐欺師の作り話に私たちは騙される。(p.199)


人を騙し、信じ込ませる詐欺師の手口について。多くの実例を挙げながら、人がなぜどうやって騙されるのかを認知科学的なバイアスを指摘しながら語っている。詐欺師が人に接触するもっとも初期の段階から、詐欺話への引き込み方、信じると決断させるところ、信頼を継続するところ、詐欺話がバレそうになっても信頼を維持するところ、といった段階に分けて書かれている。実際の詐欺のエピソード、それに関連する心理的バイアス、そうしたバイアスを明らかにした心理実験などが入れ替わるように登場する。実例では、日本からは佐村河内守のケースが出てくる(p.115-117)。しかしあまり体系的な記述ではなく、心理的バイアスについても次々と出てくるので、個人的にはとても読みにくい。


詐欺とは結局、こうありたいと願う私たちの果てなき欲望を搾取するものだ。人間は曖昧で不安定な状況を嫌い、筋が通らなければ抜けた部分を埋めようとし、出来事がなぜ起こったのか理解できなければその説明を求める。詐欺師はここに、巧みな話術で話を提供する(p.7-9, 46-48, 312-316)。整合性を求める傾向こそ、詐欺師が利用するものだ。こうした心理バイアスは誰にでもある。詐欺にあう人の典型的な特徴として知性が低いとか、高齢者であるとか言われる。しかし著者の見方では、詐欺の被害者となる特質などなく、どういう状況にいるかが重要である。生活に大きな変化があったりしてリスクをとりゃすい状況になっているか、など。また、何を求めるているかによって、陥りやすい詐欺の種類も変わる(p.51-57)。


詐欺師も生まれながらにして詐欺師であるわけではない。詐欺師の行動は、サイコパシー(反社会性人格障害、精神病質)の行動と多くの点で似ている。人口の男性全体のうち1%ほどはサイコパシーだと言われる。サイコパシーは、ナルシシズム、マキャヴェリアニズムと合わせて暗黒の三組み(dark triad)と呼ばれるものであり、後者二つも詐欺師的な特性に大いに関連する。ただし、暗黒の三組みを備えていると人を操る傾向が高くなるとはいえ、これだけで詐欺師になるわけではない。詐欺師が生まれるには、そうした性質に加えて、(詐欺を働いたら得になる)機会と(詐欺を働いても良いとする)正当化理由が揃わなければならない(p.27-37)。これは「不正の三角形」として知られる犯罪心理学の有名な考え方の援用だろう。


まず初期の接触段階では、詐欺師は話を聞いてもらうだけの信頼を得なければならない。そのために詐欺師が利用する私たちの心理的バイアスとしては、自分に似ている人物であること、関係性が維持されていたり、あるいは単に繰り返し幹異している(単純接触効果)などして親近感があることが挙げられる。同郷であるとか共通の知り合いの存在から入り込むなど典型的である(p.70-74)。


詐欺師の話はよくできている。そうしたよくできた話には、(1)議論や理屈よりも物語そのものに重点が置かれていること、(2)共感を呼び起こすものであること、という二つの条件がある。具体的で心を動かされる物語である(p.115)。こうして詐欺話に乗るよう説得される。社会心理学者ジェイ・リンによれば、相手を説得する戦略は二つ存在する(p.139-156)。(1)説得内容の魅力をアピールする。それには、返報、一貫性、社会的証明、友情や好意、希少性、権威の6つの原則がある(心理学者ロバート・チャルディーニの分類)。権威は専門知識と地位によって得られる。(2)相手が受け入れる抵抗を無くす。私たちは自分を平均以上であり、価値のある特別な存在であると信じている(レイク・ウォビゴン効果、優越性の錯覚、優性バイアス)ことを利用する(p.178-186)。また私たちの判断を乱すものも、詐欺師は利用する。時間、感情、状況などによるプレッシャーがそれだ。選択の自由や他人を従わせることができるという権力もそうだし、そもそもお金について考えることは私たちの判断を乱す(p.81-83)。


話に怪しいところがあっても、人にはそう簡単に気づけない心理的バイアスがある。矛盾した認知の状態(認知的不協和)を私たちは解消しようとする傾向がある。その傾向によって、そもそも現実の解釈を修正したりして辻褄を合わせる(確証バイアス)(p.242-250)。さらに詐欺と自分で分かったとしても、抜けられない心理的バイアスもある。サンクコストの誤り、非注目性盲目(群衆の中のゴリラ)。ミスを認める損切りは、心理的負担が極めて大きいのだ。授かり効果(現時点の所有物の高い評価)による、過去の正当化と現状維持やコントロール幻想(自分に制御できないものでも、制御できていると思い込む)も挙げられる(p.272-283)。


最後に、詐欺に対抗する三つの手段を挙げる(p.316-319)。(1)絶対に動じない自意識を持つ。つねに細かいところまで注意を払って客観性を保つ。自己認識を通じて、自分が信頼しそうな人物や反応しそうなきっかけを知り、他人だけでなく自分に対する観察眼も磨く。(2)どこまでリスクを取り、どこまで踏み込んでいけるか、限界を設けること。いざというときに抜け出す手段や、尊厳を保ったまま出られる方法を用意しておく。(3)知識。詐欺一般についての知識を広く学んでおくこと。

キャス・サンスティーン『スラッジ』

サンスティーンの近著。100ページほどと短め。スラッジとは定義が難しいが、手続きや行為を遅らせる障害のことを指す。きわめて煩雑な書類仕事を求められる申請を必要とするものなど、一応形式上は禁止されていないのだが、実際にそれをやろうとすると様々な障害に会い、結果として禁止するに同様な効果を生む。スラッジは人がやりたいことをやる、行きたいところへ行くのを阻む摩擦、あるいは抵抗でできた魔のぬかるみである。地球上のあらゆるところに存在する(p.11)。


これは著者自身が発展させてきた、ナッジという概念の裏面である。ナッジが人の心理的バイアスを利用して、ある方向への意思決定を容易にするようなものであるのに対して、スラッジは心理的バイアスを同じく利用して、ある方向への意思決定が困難になるようにする。だから特に純粋な金銭的インセンティブや、禁止がナッジでないのと同様、これらはスラッジではない(p.16f)。


そもそも著者がスラッジという概念に着目したのは、オバマ政権で著者自身が情報・規制問題室(OIRA)の室長に就任し、行政の現場でナッジを活かしていこうとし(て、失敗し)た経験に基づく。その過程で、一見可能でありながら実質的に不可能となっている、スラッジを備えた様々な行政施策に直面した。本書はそうした経験を含め、アメリカの行政分野を中心にスラッジの事例と、スラッジを廃止するアプローチについて具体的に書かれている。


多くはアメリカの個別事例なので、細かなところは実感はない。スラッジとその解消の実例として、アメリカの社会給付、職業上の許認可、学生ビザ、国民の基本的権利の4つの分野を主に分析している。自動登録やシンプルな申請制度などスラッジを削減する仕組みがあれば、制度の利用者は増える(p.56ff)。特に社会保障制度は、多くの高齢者がそれに依存しているため、スラッジ削減を支持する強大な政治勢力となっていて、連邦議会の政治家たちにスラッジを削減する強いインセンティブが働く(p.59)。個人的に身近なスラッジとしては、ネット上のダークパターンがある。これらは、企業が消費者を誘導すべく意図的にスラッジを減らしたり増やしたりした結果である(p.47, 54)。サブスクリプションサービスの登録解消の手続きは、スラッジにまみれていることがよくある。


またアメリカには有権者登録や投票に関して、それらを阻むスラッジが多く存在している。これら民主主義の根幹に関するスラッジを指摘し解決の試みを示すのは、憲法学者サンスティーンの本領だろう(p.48-50, 79-82)。スラッジの被害者になりやすいのは、たいてい社会で最も貧しい人々である。貧しい人々ほど差し迫った問題を抱えてその解決に向き合わなければならない。またそうした人々は考える余裕がない認知的欠乏にあり、スラッジの影響をさらに受けやすい(p.40-45)。したがって、これは単に手続きの煩雑さの問題でなく、人権問題でもある。


なかには成功例もある。2020年にアメリカ政府は新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、医療機関を始めエッセンシャル・ワーカーの行政手続きの負担を軽減するため、短期間に対策を打ち出した。これらの対策は様々なスラッジの削減である(p.21-28)。事前の申請や制約を課すことを禁止するのは、スラッジを禁止するのに等しい。例えば公道での抗議行動に許可を不要にすることで、国民の発言の自由は守られる。スラッジを無くすことで、国民は許可を求める者から権利を行使する者に変わる。だから独裁者は国民の様々な権利を抑え込むとき、すぐに禁止せずにまず大量のスラッジを課す。官僚はコストのかかる制度の導入に賛成しつつも本心では快く思っていないとき、スラッジを活用して実質的に制度を無効化する(p.32f, 52f)。


ただしスラッジがすべて悪いものではない。この多面的な見方もサンスティーンらしいところ。スラッジには良性の摩擦もあり、これはときにナッジともなる。例えば軽率な行動を防止する確認手続きや、冷却期間や待機期間の設定。特にスラッジとして問題にされるべきなのは、悪性の摩擦である。膨大な書類作成や長い待ち時間など(p.21)。行為を阻む障害・摩擦としての広義のスラッジ、その中で特に悪い影響を及ぼす狭義のスラッジがある。


広義のスラッジは無謀さや自己中心性といった人間の醜い衝動を抑え、時には不可欠なこともある。スラッジが正当化できるのは、次の6つの場面である。(1)社会給付の受給資格を確認し、制度の健全性を守る。公的支出を伴う制度の場合、不正、無駄、悪用を防ぐ手段としてスラッジは正当化できる。(2)自制心がうまく働かないときの防御装置となる。システム2に主導権を握らせるための仕組み。銃の購入を数日遅らせるスラッジを置くことで、銃による殺人事件を17%減らせるエビデンスがある。(3)プライバシーを守る。都度プライバシー情報の入力を求めることで、監視社会につながる自動的な個人情報の収集を防ぐ。(4)安全を守る。二段階認証などで何らかの不正行為を防ぐ。(5)給付の対象を最も必要としている層あるいは最も優先度の高い層に絞る。面倒な手続きを課すことで、切実な必要や意欲のある人を選別する。しかしこの方法で対象者を選別するのは雑であるばかりでなく、本当に必要な人に届かなくなる可能性がある。(6)重要あるいは必要不可欠なデータを収集する。制度が健全に運営されているかや、副次的なデータ収集のために、行政機関が追加で情報提供を求める(p.83-99)。ただ、スラッジを設定する側はまさにこうした理由で正当化しようとするだろう。日本でも、個人情報保護のもとで不必要なスラッジがいかに設けられたことか。


サンスティーンの提言は、世界中で悪性のスラッジを減らすことだ。世界中の国家は雇用、教育、投票、免許、許認可、医療に関わる スラッジを減らすため、網羅的かつ積極的な取り組みを進めるべきである。そのためには国家のあらゆるレベルで制度設計におけるスラッジを削減する必要がある。たとえば、現在国民に求めている手続きの大幅な簡素化、そして(さらに好ましいこととして)デフォルト選択肢の採用によって、学習コストや法令順守コストを削減するといったことだ(p.119)。そして、行政機関は手続きの申請者と対話し、スラッジ監査を行うべきだ。アメリカ政府は連邦政府全体を対象として、情報・規制問題室(OIRA)が政府機関ごとの書類作成負担を調査し、報告書として毎年作成している。連邦政府全体で加算すると、書類作成負担は年間114億時間となる。民間組織も同じような文章を作成すべきだ(p.104-107)。

大竹文雄『行動経済学の処方箋』

経済学を用いた社会問題へのアプローチ。筆致は軽く、時にエッセイ風。行動経済学の基本的な考え方をもとに、著者も深くかかわった新型コロナウィルスの様々な対策が中心的に書かれている。後半は短く簡潔な文章も交えながら、外国人労働者、企業のCSR、アダム・スミスの読み方、人文社会系学問の意義、神社仏閣の役割など多岐に及ぶ話題を扱っている。どれも読みやすだけでなく現場で問題解決に尽力してきた実感と、しっかりした学問的考察が交えられている。


まず経済学を社会問題に用いるにあたって、経済学の常識と世間の常識かずれる5つのパターンが考察される(p.iii-xi)。(1)世間の直感的理解と異なるずれ。例として、比較優位という考え方。ただ、比較優位に基づくグローバリゼーションでの国家間分業や、最低賃金の引き上げで雇用が減少するという経済学の旧来の常識に反する研究結果も得られている。(2)かつての経済学の常識が世間の常識になり、その後、経済学の常識が変わったことによるずれ。消費税はその時の所得だけを見ると逆進性が見えるが、将来所得全体で豊かさを測るライフサイクル仮説をとる現代の経済学からは逆進的ではない。(3)経済学の常識が世間の常識になっていないことによるずれ。価格弾力性など。(4)経済学の研究対象だと思われていないために存在するずれ。健康、医療、教育の分野における経済的分析。(5)経済学は合理的な近代人を前提にしているという世間の常識とのずれ。


行動経済学は人の意思決定における気づかれないバイアスを明らかにしてきた。こうした無意識のバイアスによる判断の偏りは、組織的・制度的に意識的に対処することによってしか解決できない。データをもとに、合理的に説明できない格差を明らかにしていく必要がある。一つの方法は、無意識的にバイアスのない選択肢を選べるように環境を変えていくことである。オーケストラの演奏者の選抜の例などがその例で、演奏者と対面しながらだと男性に偏るため、対面せずに純粋に演奏だけを聞いて判断することが試みられている(p.17-23)。


同様に、ナッジを選ぶには、まず意思決定のプロセスや状況にどのようなボトルネックがあるのかを行動経済学的に分析する必要がある。そのボトルネックの特徴に応じて、有効なナッジは変わる。望ましい行動を知っていて達成できないなら、自制心を高めるコミットメントのナッジが有効。そのように自らナッジを課すだけのモチベーションがないなら、組織などが設定する外的なナッジが有効。情報過多などで情報の認知に問題があるなら、損失回避や社会規範など情報を削減するナッジが有効。競合する誘惑的な行動が存在するなら、その誘惑を削減するナッジが有効(p.32-36)。


私たちは参照点を設定して、そこからの損失を考えて損失を忌避する。事実としては同じ事柄でも、参照点がどこにあるかによって反応は異なる。ただし、暗黙の参照点がどこにあるかは、よく検討しないと分からない。例えば、残業を減らしたいなら、残業が多い部門を取り上げてはダメ。そうした部門を強調することは、それが多数派である印象を与えて参照点となる。そうするとそこからの逸脱が損失として感じられる。残業を減らした部門を多数派として強調すべきである(p.63f)。


新型コロナウィルス感染症対策専門家会議が発信に使ってきたメッセージは、行動経済学的知見に基づいている。利他的メッセージの重視により、正常性バイアスを持つ人にも行動変容を促す。一方で、恐怖メッセージは抑制されている。恐怖メッセージは短期的に効果があるが、自分がコントロールできる状況でのみ行動変容につながると考えられているし、自分だけは大丈夫という正常性バイアスを引き起こす。「~を控える」のような、行動変容することが損失に感じられる表現を用いることも回避されている。逆に何もしないことを比較対象として、行動がポジティブなものとして意識されるようにしている(p.53-57)。著者は新型インフルエンザ等対策推進会議の基本的対処方針分科会で委員を務めており、2022年1月25日以降5回にわたって、重点措置の適用・期間延長の提案に反対した経緯と内容が詳しく書かれる(p.96-101)。


コロナ禍に関連して、テレワークの功罪について章を割いて書かれている。テレワークが生産性を上げているのかについては、世界各地で議論があるし、中国の大手旅行代理店Ctripでの実験が有効であった結果も紹介されている。だが、日本でコロナ禍によるテレワークの効果を調べた研究は、生産性に対する負の相関を観察したものがほとんどという(p.116)。また、オンライン会議と創造性の議論もある。対面のほうがアイデアの質も量も高いというnature掲載論文が紹介される(p.125-130)。


あとは細かい個々の話題が展開される。印象的なエピソードから始めて論じられていて、どこか別の媒体にエッセイ風に書いたものの集成だろうか。外国人労働者の受け入れに対しては、日本人は外国人労働者と補完的な能力を身につけるようにしていかなけれはならない。例えば日本人とのコミュニケーションなど。代替的な能力の人は置き換えられることになる。これは外国人労働者を人工知能に置き換えて同じ議論ができる。外国人を多く入れたラグビー日本代表から話が説き起こされる(p.153-156)。


人文社会系の学問の意義について、それらは人生の岐路に経ったときの意思決定に役立つという金水敏氏の意見をもとに展開される。その場合、人文社会系の学問を政府が補助金を使って振興すべき理由は、正の外部性があるかによる。経済学的には、税負担からの支出を正当化するには所得再配分という別の理由もあるが、この場合は奨学金で良いので当てはまらない。考えられる正の外部性としては、社会全体での意思決定が向上するという公共選択の改善と、個人の選択ミスから発生する社会的コストを削減するという財政支出の削減が考えられる(p.202-207)。



最後の、神社仏閣と地域の人々の幸福の関係の話は、ちょっと異色で面白い。寺院や地蔵が子供の頃に近くにあると、信頼、互恵性、利他性の傾向が高くなる。ソーシャルキャピタルが多く育っていることがうかがえる。神社については、子供会や地域活動などコミュニティ活動を変数に入れると統計的に優位ではなくなるが、寺院と地蔵はそれでもソーシャルキャピタルへの影響は残る。神社は地域の活動の場となり直接的にソーシャルキャピタルに寄与しているのに対し、寺院と地蔵は来世の存在のようなスピリチュアルな世界観によって寄与していると考えられる。すなわち、神社は地縁を強化し、寺院と地蔵は血縁を強化している。ここで育まれるソーシャルキャピタルは橋渡し型ではなく結束型のため、地域間労働移動を減らす。そのため、所得向上には寄与しないが、健康と幸福感には寄与している(p.219-226)。

神取道宏『ミクロ経済学の力』

経済学徒は誰もが読んでいる、ミクロ経済学の入門書。これは確かに素晴らしい、というか凄まじい一冊だ。母国語でこんなレベルの教科書が読める日本の経済学は、この上なく恵まれた状況だろう。読みやすさ、分かりやすさ、内容の網羅性、レベルの高さにおいて、この水準の教科書はほぼ他に見ない。


内容は均衡分析とゲーム理論に分かれている。消費と生産の理論から部分均衡、一般均衡という市場で均衡が成立するメカニズム。市場が失敗するケースとして、外部性と公共財。独占についてはやや記述は少なめ。ゲーム理論は同時手番と時間発展するゲームの基本的な事項を押さえる。行為が不可視である場合のモラル・ハザード、情報が不可視である場合の逆淘汰。最後には社会思想の話がある。ここには、市場が拡大して総余剰が増えていけば、長期的に誰もが得をするという、一見すると元も子もない補償原理の提示する議論の深さが指摘される。


500ページ以上ある本だが、思ったよりもずっと早いペースで読める。そのため、理解したつもりになってしまうおそれもある。姉妹編の問題集で自分で考えるか、何度か再読する必要があろう。

大竹文雄『あなたを変える行動経済学』

読みやすい行動経済学の入門書。もともと、予備校の早稲田塾で高校生相手に行ったオンライン連続講義に基づいている(p.11)。行動経済学で論じられる人間の意思決定におけるいくつかのバイアスを分かりやすく伝えている。バイアスを表す簡単な実験や、有名な実験の紹介、バイアスに対処する方法、バイアスを利用したナッジなど。モデルなどの理論的な考察は一切ない。


扱われるのはサンクコスト、参照点効果、現在バイアス、社会的選好、ヒューリスティックスなど。サンクコストについては、サンクコストを無視した選択をすべきだと何度も書かれる。サンクコストに捕われて合理的でない選択をする、いくつもの例が挙げられている(p.30-41)。参照点効果と損失回避のバイアスでは、参照点を明確にすることが効果が出るポイント(p.61-68)。現在バイアスは先延ばしについて分かりやすく書かれる。現在バイアスに対処する方法は、コミットメント、細かな目標の設定による自由度の削減、デフォルト設定が挙げられる(p.103-105)。


社会的選好を考えるのも行動経済学の特徴だ。他人のために何がしたいという利他性、良いことをしてくれた人に報いたいという互恵性、自分だけ得したり損したりはよくないと考える不平等回避が挙げられている(p.127-130)。ヒューリスティックスは、限定合理性のもとで私たちの判断を導く原理。フレーミング効果、属性代替、アンカリングが挙げられている。アンカリングでは、まったく関係のない数字にでさえ判断は影響される(p.139-151)。アンカリングは見た数字に判断が影響されることだが、言葉や絵など数字以外でも存在する。心理学でプライミングと呼ばれる(p.156f)。


最後は行動経済学的なバイアスを利用するナッジについて。OECDが提案したナッジ設計のプロセスフローであるBASICと、施策のアイデアがナッジとして望ましいかをチェックする、イギリス政府のナッジユニットにサンスティーンが付け加えたFEASTが挙げられる(p.165-168)。OECDのBASICには、そもそも何が望まれる状態なのかを考えるプロセスがないと思う。


著者はどういうナッジを選ぶべきかの4つのポイントを記している(p.169-174)。ここは大事なところだが、どうもうまく理解できなかった。望ましい行動を知っていて達成できない場合には、コミットメントや社会規範。そもそも望ましい行動を知らない場合には、デフォルト、社会規範や損失回避を用いた情報提供。自分でナッジを課すだけの意欲がかけている場合には、デフォルトやコミットメント(自分でナッジを課すというのはナッジなのだろうか、その場合でもデフォルトやコミットメントを使うのではないだろうか)。情報がありすぎて認知的な負荷が過剰な場合なら、シンプルな情報提供(これはナッジだろうか)。惰性ではなくて競合的な行動があるから望ましい行動ができていない場合は、社会規範やデフォルト。それぞれに合わせたナッジの方法がある。


もっとも気に入ったナッジの例は、熊本市のある病院での看護師の残業時間削減(p.177f)。ここでは日勤と夜勤の看護師で制服の色を分けた。それにより、誰が残業しているのか目立つし、他の人が何かを依頼するときにも残業中なのかどうか分かる。


また、行動経済学と神経科学者の協働が増えており、神経経済学という分野も生まれている。この協働は当初、それぞれ異なる意向から始まっていたらしいことが面白い。行動経済学者は、アノマリーを脳の特性に求めて脳科学者と共同研究を行った。逆に脳科学者たちは、刺激と反応という枠組みでは人間の意識や意思決定を説明できないので、より統一できて合理的なモデルを求めて経済学者と研究を始めた(p.94)。


最後に、伝統的経済学の見方について。伝統的経済学が示したのは、人は利己的行動をすべきだということではない(p.130f)。そうではなく、利他的な動機をみんなが持っていたほうが社会は良くなる。伝統的経済学が示したのは、たとえ利己的に行動したとしても、市場競争があれば社会は豊かになるということ。

Appendix

プロフィール

坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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