

翻訳篇と銘打たれた本書では、心の哲学の現代の古典となった英語論文が5つ収録されている。どれもその後の議論に大きなインパクトを与えた重要な論文だ。
J.キムの論文はスーパーヴィーニエンスの考えをきちんと定式化。スーパーヴィーニエンスの概念を用いて、心的性質に対して因果的効力を与えられるよう論じる。マクロ的因果とミクロ的因果という、より広い事例からスーパーヴィーニエンスを説明するところがよい。心的因果は、基底となる物理的因果に付随する因果関係として捉えられる(p.44)。とてもクリアで良い論文だ。
続くR.ミリカンの、志向性の自然主義的(生物学的)解釈はかなり難しい。翻訳のせいではなく極めて読みにくい論文だ。ミリカンの議論は生物器官の機能というものに訴える点で個人的にはまったく納得できない。とはいえ、ただ、表象が何であるかを表象の利用者の側から考えているのが面白い。表象の内容は、その表象の利用者がその機能を遂行するための通常の条件により、決定される。ミツバチの8の字ダンスは、それを見たミツバチが通常の場合は巣の候補の位置へ飛んでいくから、巣の候補の位置を表象している(p.62f)。ただこの通常の条件は表象と世界の間の対応関係に依存するとしている点で、確かに訳者解説で触れられている通り(p.53f)志向性を前提としているように見える。ますますよく分からない。
G.ハーマンの論文は、クオリアは内在的性質でなく志向的対象だとする論文。内在的性質というよりはフッサールのいみで実的(reel)性質と言えるだろうか。赤いリンゴの知覚体験における赤のクオリアは、経験に内在するものではなく、まさにリンゴという志向的対象の赤さなのである。けっこう単純な論点だがもう少し展開されれば面白いものになる。
P.チャーチランドの素朴心理学の消去主義は記念碑的論文だが、説得力は薄かった。まず素朴心理学が法則からなっていて、科学理論と同じ意味で理論といえるものだということがよく分からない。素朴心理学はそんなに体系立っているようには思えない。消去主義に対する反論として、素朴心理学の規範的性格と多型実現による抽象的性格が扱われる。この再反論もどうも説得力がない。そもそも、科学的には正しい別の理論ができたとして、素朴心理学が消去されなければならない感覚が分からないようだ。ガリレオから400年ほど経つが、我々は素朴天文学で相変わらず「太陽が昇る」と言うし、量子力学がいかに標準的となっても、電子の確率的雲のようなものを「物体」と扱う我々の素朴物理学は変わらない。ここには別の論点がある。
最後はT.バージの心的内容の外在主義の話。この論文は非常に長く、実は本の半分を占めているのはこの一つの論文だ。人が言葉を部分的に理解していたり、誤って理解している時でも、我々はひとまずはその人に観念を帰属させる、という日常的実践に基づいている。自らの議論を提示した後に、詳細に他の見解からの批判やありうる誤解を潰していくというやり方を取っている。ある人が接したことのある言葉の用法にまつわるものはすべて同じで、それ以外が変わっているという思考実験がよく分からない(そうした状況で同じとするものが同じでありうるだろうか)。ただ、部分的理解や誤解の場合にどうするかという論点ではとても面白い。
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コメントありがとうございます。興味を持っていただき、嬉しい限りです。
新・心の哲学のシリーズも今後、読む予定の本に入っており、今年中には手を付けようかと思っています。またその際にはお気軽にコメントいただければと思います。
バーバラ・ミントの読書記はアクセス解析を見ると第二位です(第一位は和辻哲郎のページで、Yahoo!知恵袋にリンクされています)。けしかける調子で書いていますので、反発する向きもあるようです。