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勝俣誠『新・現代アフリカ入門』

地域がグレーゾーンとなっている際に、人々の不安・危惧にしっかりと耳を傾け、そのルーツを緩和する明確な対策を取ることこそ、平和への道であることは強調されなければならない。そして、グレーゾーンが誰もが安心して暮らせる普通の日常生活モードに戻れる地域になれば、これこそ平和的解決の鍵となる。ただ戦争から和平へと向かう可視的なプロセスと異なり、検証しにくく、定義が難しい。しかし、それが平和なのだ。
現代アフリカで戦争を繰り返さないためには、紛争のルーツを歴史的、文化的、経済的、社会的につきとめていく作業は不可欠であろう。南アフリカの経験に啓発されたリベリアやシェラレオネでの真実和解委員会による社会的和解の試み、国連の調停や介入など多様な手段が存在するが、何よりも平和教育や人権教育を学校やコミュニティで広めていくことが大切だろう。(p.152f)

アフリカの政治経済的な現状とその経緯について書かれた一冊。アフリカといっても広大で、基本的にサヘル地域、ブラックアフリカの話。主に議論されるのは著者がフィールドとしていたセネガルなどの西アフリカ、コンゴ民主、南アフリカ。特に、独立時の状況がいまなお国内や国家間の紛争をいかに規定しているかが扱われる。したがって現状といっても、一見して歴史的経緯の話が多い。またそうした枠で語るため、宗主国と植民地、支配・援助側の欧米日と被支配・被援助側のアフリカという図式になっている。


アフリカの気候や風土から話は始まる。アフリカ全体での大きな問題として耳目を集めたのは、1970年代の旱魃と飢饉であろう。1970年代以降、アフリカでは沙漠化対策が注目されている。この沙漠化対策は、沙漠に植林して森林地帯に変えることではない。土壌の劣化を防ぎ、農業に使われる土地の地力を回復させるか、そしてそのプロセスに地域住民をいかに参加させるかにポイントがある。土壌が劣化した原因は、都市化に伴うエネルギー源(薪や炭)としての森林伐採、例えばセネガルの落花生栽培などでの土壌の肥沃さの維持を考慮しない粗放農業である。この土壌劣化の過程には、セネガルのようなサバンナの疎林でもコンゴ盆地のような熱帯雨林でも、保護区の農地化などで政治が決定的な役割を果たしている(p.8-15)。


改良品種、農薬・化学肥料、灌漑施設の導入といったいわゆる「緑の革命」をアフリカにもたらそうとする見方には特徴がある。それは、人々の食糧不足を食料生産の不足に求めている点だ。たしかにアフリカ農業の生産性は低いが、それは単に知識が無いのではなく、複合的な要因が存在する。そもそも外部からの介入の仕方そのものが、地域の実情に即していない。この観点は、地域農民の知識不足に原因を求める見方からは抜けてしまう。そうしたやり方では生産者たる地域農民は、外国の技術と投入財に振り回され、自らの蓄積してきた技術や品種を放棄してしまうという、農民の主体性の喪失につながる(p.161-166)。求められているのは、地域の人々が主体的に取り組むことであることは、様々なところで強調される。


1980年代末からアフリカに訪れた民主化の二十年は、しばしば社会の騒乱を伴った。その最たる特徴は、アフリカの政治家や欧米・日本政府が、民主化とはなるべく早く野党を認めて選挙を行うことだと考えたことである。しかし選挙といっても、国民がどんな社会を選択するのかという争点が不明確で、候補者の個人的資質やカリスマ性が投票行動に大きく反映されていた。選挙はスポーツチームの応援活動に近い形で行われ、都市の若者層を中心に支持グループ間の暴力事件が頻発した。また選挙権・被選挙権や、選挙の公示から当選者が確定するまで、制度の運用をめぐる様々な争いが絶えない 。選挙後に当落が発表されても、結果を受け入れない落選した候補者とその支持者たちが抗議を行い、しばしば 社会騒乱へつながった(p.29-33)。


民主化運動において制度運用の困難や社会騒乱につながってしまうのは、独立時の社会構造が関係している。事例として、ジンバブエ、コートジボワール、 ケニアが挙げられる。ジンバブエでは、独立闘争を率い、イギリスが放棄した土地の改革を強行して貧農へ再配分したムガベ大統領の独裁を支持する背景。カカオ輸出ブームの中で肥沃な西部に地域外の民族集団が入植していった結果として起こった、コートジボワールの内戦。2002年のケニア大統領選後の若者を中心とする暴力の背景には、独立前のマウマウ戦争でイギリスに抑え込まれた世代と、イギリスとの妥協によって自らの地位を維持・拡大してきたエリート層の世代との世代間闘争がある(p.37-57)。


国家運営の困難さということでは、コンゴ民主と南アフリカの対比が印象に残る。特にコンゴ民主のどうにも難しさ、出口のなさも。豊富な農業資源、鉱物資源を抱える古典的な地域大国であるコンゴ民主共和国(ザイール)は、1990年代に崩壊していく。その原因として4つのポイントを取り出す。(1)多額の対外債務の返済の努力を怠っているとして、IMFと世界銀行が手を引いたこと。徴税能力は低下しており、国家財政は危機に瀕した。(2)極端な国家財政難で、公務員の給与支払いをはじめ公共サービス機能がほとんど停止したこと。(3)そうした給与支払いの停止により、軍と警察が住民の財産を守るよりも、逆にそれを侵害する合法的な暴力犯罪組織と化したこと。(4)国内交通網が未整備であり、もともと国家が分断されていたこと。しかしモブツ大統領は鉱物資源などヨーロッパの権益に手を付けない限り、社会主義陣営に組み込まれないように欧米、特にフランスによって軍事・民政にわたって支援され続けた(p.74-79)。二度の内戦を経てコンゴ民主共和国はジョセフ・カビラ政権によって、膨大な国際的支援のもとで国際社会の一員として再登場した(2006年)。しかしコンゴの富を国際管理するというこの体制は、コンゴをベルギー国王の私有地として認めた1885年のベルリン会議と変わっていないようにも見える。自国民が自国の富を自国民のために用いることができることが独立ならば、コンゴは独立国と言えるのか(p.82-86)。


一方、1994年にアパルトヘイトを排した憲法制定の国造りに成功した南アフリカは、黒人以外も広く巻き込んだ民主主義の広がりと質、内戦の回避という二点が注目に値する。ANCの組織力のみならず、キリスト教会が果たした役割も大きい。南アフリカの教会は、キリスト教徒はアパルトヘイト体制に反対すべきという声明を出している(1985年のカイロス文書)。アパルトヘイトを復讐の論理に従わせないとするマンデラは、内戦の回避に決定的な役割を果たしている(p.98-104)。このあたりは、特にコンゴ民主との対比でもっと論じてほしいところ。


現代アフリカの武力紛争には、4つの特徴が見られる。(1)国家間の戦争というより、国内外の反政府勢力と政府軍の内戦であり、しかも内戦と対外戦争が明確に区別しにくい。国家の財政難により、国境警備隊や軍の領域管理力が手薄になっていることが関係している。(2)戦闘の当事者が二者に限られず、群雄割拠の様相を呈する事が多い。ステークホルダーが増え、休戦が困難になる。(3)内戦の始まりと終わりがはっきりせず、休戦合意が成立しても治安が安定しない。(4)反政府組織には闘争の目的や、勝利後の政治経済的ビジョンが欠如している。内戦状態こそが支配地域の資源を不法に輸出できて利益を生むために、紛争が自己目的化しているケースさえある(p.120-126)。


特に2000年代のアフリカの平和には、アメリカの反テロ戦争が大きくかかわっている。イスラム人口が多い北アフリカとサヘル諸国がテロリストの温床にならないように様々な対策を打ち出した。アフリカの角と呼ばれる地域では、イスラム法廷政権を排除すべく、キリスト教徒の多いケニアやエチオピアで親米政権の樹立を図るなど、アメリカの反テロ戦争への協力という形で新たな代理戦争の側面を呈した。2011年のアラブの春ではリビアのカダフィ政権の崩壊によって、サヘル諸国で地政学的な均衡が崩れた。サヘル諸国からリビアへの出稼ぎ労働者、非正規軍の軍要員として密接な関係にあったトゥアレグ人は、リビアの崩壊で大量に流出した兵器を持ってマリ北部で2012年に独立宣言を行った。この地域がテロの温床になることを恐れたフランスは、2013年にはマリ北部を空爆。アメリカが主導した東アフリカでの反テロ戦争は、フランス軍の介入によって西アフリカにも広がった(p.141-144)。


アフリカは先進国からは援助対象として語られてきたが、その仕組みはワシントン・コンセンサスと呼ばれる。1981年の世界銀行のバーグレポート以降、アフリカには国家の介入を減らして、国籍を問わない民間資金を導入し経済を活性化させるという「構造調整」が求められた。これが「ワシントン・コンセンサス」。これは欧米日の債権の早期回収のため、債務国の経済の仕組みを抜本的に変えることだった。その柱の一つであった公営企業の民営化の結果、低所得層は基本サービスへのアクセスが悪化し、情報通信部門においては外資により自然独占された(p.188-193)。


これに対して近年注目を集めるのが、中国による支援である。本書が中国に対して割いている分量はさほど多くない(また、民間軍事会社も絡むロシアの支援なども記述は少ない)。ソ連に対抗する国際協力の側面が強かった中国の対アフリカ政策は、中国の開放政策と冷戦の終焉により新たにビジネス中心のものへと変わっていった。アフリカ側も過度な内政干渉を行わず、権威主義体制にも親和性の高い中国を歓迎し、「ワシントン・コンセンサス」は「北京コンセンサス」へ変わった(p.202-204)。中国によるアフリカ支援の問題が挙げられる。(1)中国とアフリカ政府の交渉は密室交渉に終始していて、どこまで人々の生活、雇用、所得分配に寄与するのか明確でない。(2)一般消費財から耐久財まで、すべて中国からの輸入品で済ませてしまえば、アフリカの工業化とその先の持続的発展はますます遠のいてしまう。(3)インフラの整備を設計、施工、運用にわたって中国企業にすべて丸投げすることは、中長期的には地場産業や技術者が育つことはなく、アフリカの国民自身による国づくりを先送りしている(p.208-212)。


最後に、21世紀になって新たな局面に入ったというアフリカの民主化に希望を託す。90年代の民主化を「北」の援助機関や企業のためにではなく、自分たちの尊厳のために勝ち取ろうとする若者世代の台頭だ。自分たちの国や地域の問題を自分たちで認識し、外部の知識や技術を取り入れつつ、まずは自分たちで取り組んでいく試みが行われている。独立前後に消されていった社会運動の新しい形とも言える。フランスに弾圧されたマダガスカルのMDRM、カメルーンのUPCといったナショナリスト運動、イギリスに排除されたマウマウ戦争の参加者たち(p.226-229, 242-246)。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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