読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
『経済セミナー』2020年6・7月号の特集部分だけを抜粋したもの。ナッジについて、対談、概観、環境政策・医療健康分野・職場・マーケティングにおける活用の現状や事例が扱われている。ナッジについては近年、様々な分野の人が様々に語っているが、あくまで経済学に立脚してしっかりな記述が心掛けられている。
ナッジは考え出すと、あれもこれもナッジではないかと見えてきてしまう。なので、改めてナッジをしっかり理解し直すいいいきっかけになった。経済学から出てきたナッジは、経済学的に最適な状態を目指して行われるものである(p.9f)。最適なな状態という目標のない施策は、単純なマーケティングだ。パレート最適など、経済学的に最適される状態は、合理的な経済人ならばその状態へ至る選択を取る。しかし現実の人間は、バイアスや制度などにより、そうした選択を取るとは限らない。こうした状況で、最適な状態への選択へ誘導するのがナッジと捉えることができるだろう。
ナッジであるための4つの条件が挙げられている(p.21)。(1)選択する人本人のための施策であること。(2)ナッジからの離脱は簡単で自由であること。(3)基本的な政策が前提にあること。 ナッジは、補完的な政策手段であって、あくまでも、 財政支援、法制度や物的資源を整備したうえで考えられるべきもの。(4)事前の綿密な行動分析と仮説構築が行われていること。ナッジそのものは軽微な仕掛けに見えるが、その背景には綿密な調査や研究が行われている。
ビジネス領域でのナッジは昨今よく語られる。だが、単に一企業の利益を増やすだけの施策は言うまでもなく、顧客の利益、厚生、効用を増やす施策でも、そのままでナッジと呼べるわけではない。たしかに、マーケティングの根本には顧客志向がある。しかし顧客のニーズは短期的で自己本位的であることが多い。よって、顧客のニーズを充足させることは、コミュニティや社会全体の利益と一致するとは限らない。したがって、顧客が望ましいと思っている購買や使用をそっと促す仕組みは、下手をするとスラッジになりかねない(p.43f)。ビジネスにナッジを活用しようと語るものは、この点を理解していないものが多くあるように思われる。
ナッジがいかなるときに正当化されるのかは、かなり難しい話。Clavien(2018)の議論を整理すると、(1)自覚的に望んでいながら、バイアスや制度によって自力で実行できないならば、ナッジで誘導することは正当化できる。(2)自覚していないが、十分な時間をとって冷静に検討すれば選ぶはずならば、ナッジで誘導することは正当化できる。(3)十分な時間を取って冷静に検討しても選ぶはずがないものならば、ナッジで誘導することは正当化できない。しかし、実務でナッジを活用するときには、この整理は十分ではない。まず(1)の人はほぼナッジを必要としない。(2)や(3)の人にこそナッジが必要だが、現実には「十分な時間を取って冷静に検討する」ことは不可能なので、この二つのタイプを見分けるのは困難である。どのような手続きで介入を検討すれば、ナッジで介入するという判断が社会的に受容されるかは整理が必要な状況である(p.31f)。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
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