読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
とても良い本。著者名は一人だが、本書はアジア・パシフィック・イニシアティブで2019年から1年半にわたり研究が行われた、「社会実装」プロジェクトの成果物。プロジェクトメンバーには6名、学術界から実業界まで有力なメンバーが並んでいる。本書の問題意識は、日本の社会実装に足りなかったのは、技術のイノベーションではなく、社会の変え方のイノベーションだ(p.40)というもの。技術を開発するイノベーション論を説くのではなく、技術を社会とともに実装するために社会をどう変革するかを説いている。
いくら技術がよくできたものであっても、社会がうまく変わらなければ技術をうまく受容できない。社会の法制度や慣習における「補完的イノベーション」(エリック・ブリニョルフソン)が出現するまでには、数年から数十年がかかる。補完的イノベーションが無ければ、新しい技術は潜在力を発揮できない(p.65f)。そこで技術ではなく社会に重点を置いて、技術を手段として、社会の課題やニーズを把握しながら、社会との共同作業で社会を変えていくことへと発想を転換する。社会への実装ではなく、社会との実装が必要だ(p.41-43)。本書の特徴の一つは、このために非営利組織が採る方法論を多く参照していること。なぜなら、社会を変えようとしているのは多く、非営利組織の方だからだ。
こうした社会との実装が必要となってきたのは、世界的な潮流もあるし、日本の事情もある。カルロタ・ペリッツによれば、技術は導入期のあとの恐慌・景気後退を経て、展開(デプロイメント)期に入るという形を取る(p.21-32)。半導体技術から始まる第5の産業革命である情報革命は、いまや金融危機や新型コロナ危機を経て実装期に入ると想定される。その展開には4つのポイントがある。(1)様々なxTechと呼ばれるように、純然たるデジタル領域を超えて技術が適用され、社会の既存の規制や規範との調整が必要になってくる。既存の規制は業界ごとに作られているため、デジタル技術が業界をアンバンドル、リバンドルすると対応が必要になる。(2)デジタル技術そのものに規制が行われる。セキュリティやプラットフォーム規制など。(3)デジタル技術と国際政治との地政学的関係が深まる。(4) デジタル技術が業界再編を促すことで、業界ごとの法律やルールの更新が求められ、政治が必要になる。
現代の日本のような成熟社会で技術の社会実装を進めるには、特有の難しさがある(p.72-87)。多くの課題がすでにある程度解決されており、そもそも課題が少ない。理想を描きづらくなっている。新技術の導入による便益が比較的少ない。変化が起こることで明らかに損をする人たちが出てくる。過去から積み重なってきた制度があり、容易には変えにくい。ニーズが多様化し、対応と合意が難しくなる。技術の悪い面を考えるようになる、など。例えば、規制当局や業界団体との対話を軽視し、広まらなかったUberと、自治体やマンション管理団体と丁寧な対話や交渉によって民泊を広げていったAirbnbの対比や、丁寧な情報発信と業界への貢献で、銀行法の改正にまでかかわるようになったマネーフォワードといった事例は難度か言及される(p.107-120)。純粋なデジタル技術の領域は、GAFAMなどかつてスタートアップであった企業群に多くのスペースを占められている。よって、これからは物理的な世界や既存の産業をデジタル技術で変えていくようなスタートアップが増えてくる。こうした場合、そのスタートアップはかつての破壊型モデルではなく、調和型モデルの方がうまく進む。つまり、市民の理解を得て官庁や自治体と連携して、社会を動かし規制を良い方向に変え、新しいホワイトスペースを作り出すことが急成長していくための有効な選択肢となる(p.50f)。
本書が説く社会実装のための原則は4つ(p.126f)。(1)最終的なインパクトと、そこへ至る道筋を示す。(2)想定されるリスクに対処する。(3)規制などのガバナンスを適切に変える。(4)関係者のセンスメイキング(納得感の醸成)を行う。本書では賞を分けて、インパクト、リスク、ガナバンス、センスメイキングというこれら4つの概要、事例、方法論を述べていく。記述は分かりやすく整理されており、読みやすし実践的。
これらの4つの原則に先立って、そもそも社会に技術に対する需要があることが前提とされる。面白そうな技術があるから、それを使ってくれるユーザや適する課題を探すようなサプライサイドの視点が強いと、社会実装はうまく行かない。あくまで課題や需要などデマンドサイドの視点から進めないと、なかなかうまくいかない。社会実装が失敗する最も大きな原因の一つは、「技術を導入すれば、課題が解決される」という発想にある(p.131-135)。
まずインパクトとは、技術によって達成したい社会の理想のこと。いま注目されているのは、理想に基づく新たな選択肢を提示し、人々を巻き込んでその実現を追求することだ。この理想こそ、インパクトと呼ばれるものである。2010年に『イシューよりはじめよ』が出版されて広く読まれたように、この頃はインパクトではなく、課題とはなにかに注目が集まっていた。デザイン思考も、顧客の潜在的な課題を顧客とともに解決しようとするもので、課題にフォーカスしている。しかし課題は、理想と現実のギャップとして生まれる。着目すべきは課題よりも、まず理想の方である(p.37-39)。
もう少し特定して言うと、本書のインパクトは、開発援助の分野で言われるような「個人への影響を超えた社会や制度などの変化や長期的で広範に及ぶ変化」を言う。インパクトを示すことは4つの理由で重要(p.140-147)。(1)変化に対する抵抗を超えるために必要な要素である。(2)長期的な目標に目を向けることにより、短期的に費用と便益が均衡せずにつまづいてしまうことを回避する。(3)関係者に施策の目的を説明できるようになる。(4)インパクトを理想として提示することで、現状とのギャップすなわち課題が認識され、課題に対する解決の欲求、すなわち需要を醸成できる。社会実装でインパクトを示すことは、ソーシャルセクターで言う「イシューレイジング(問題を認知してもらうこと)」である。
インパクトの設定・運用はFASTであることが肝要だ(p.168-170)。頻繁に議論されfrequently discussed、大志がありambitious、数値的に特定されておりspecific、関係者に公表されて透明性があるtransparentこと。インパクトが定まれば、ロジックモデルをインパクトから逆算して成果、結果、活動を設定していく。ロジックモデルは、あるプロジェクトについて、投入する資源、資源を用いた活動、活動の結果、結果による受益者の便益実現としての成果(短期・中期・長期)、そしてインパクトの間をif-thenの仮説でつないだもの。NPOやNGOの助成金募集の際や、イギリス、米国CDC、日本の省庁や自治体での政策評価にすでに使われている(p.150-156)。
ロジックモデルにおける成果、アウトカムを見つける5つの方法(p.400-407)。(1)現場に出て仮説をぶつける。現場での仮説検証の検証は、課題を把握する最も効果的な手段の一つ。(2)システム全体を理解して介入点を見つける。システム思考でシステムマップを書いて要素の関係性を理解する。因果ループ図を書き、負のフィードバックループがあるバランス型ループを見つける。(3)適切なフレーミングを行う。ただし解決策を先んじて課題のフレーミングに入れ込まないように注意。(4)様々なテクノロジーを知り、解決策の実現可能性を考える。(5)解決策の二次、三次の波及効果を考える。
リスクについて。アンディ・スターリングを引いて、リスクに関連する概念の整理がなされる(p.201-205)。発生確率について知識があるかと、発生した際にどんな有害な影響があるか知識があるかの2軸から4象限に整理する。確率も影響も分かっているのがリスク。確率は分かるが影響がはっきりとは分からない、あるいは多面的な影響があって一元的に評価できないのが多義性。確率が分からないが影響が分かるのが(ナイトの)不確実性。確率も影響も分からないのが無知。例えば新型コロナウィルスについては、当初は感染確率も感染後の影響も分からない無知の状態だったが、感染確率が分かるにつれて公衆衛生と経済への影響をどう一元的に評価すればいいか多義性の状態へ移行した。リスクに関連して、倫理が扱われる。本書では基本的に倫理はブレーキ役として捉えられている(p.213)。これにはやや違和感を抱く。倫理は同時に「やっていいこと」を確定させて可能性を拓くものでもあるはず。
ガバナンスへの着目が本書の中核を占めるだろう。ガバナンスは、レッシグに沿って法、規範、市場、アーキテクチャとして捉えられる。ガナバンスを集中的に担っている政府(ガバメント)への信頼が低下したり、政府の力が弱まったときに、ガバナンスというプロセスそのものが注目される。現在においてガバナンスに注目が集まる理由は5つある(p.229-232)。(1)グローバリゼーションにより、単独の政府ではなく各国間での調整が必要になった。(2)多くの国家で小さな政府が志向され、政府の力が相対的に弱くなった。(3)行政サービスをNPOが担うなど、政治への積極的な市民参加の動きがある。(4)不確実性の高まり。(5)企業、自治体、ITシステムなどガバナンス対象の広がり。
こうしたガバナンスを改善できる力が、今後の社会実装の鍵を握る。ガバナンスの変革は政府を始め公共部門の役割にも思える。だが民間企業もガバナンスの担い手となり、ガバナンスを変えていくことができる。鉄道の普及がもたらした標準時の制定、FinTech企業がもたらした銀行API制定の金融庁の動きなどの事例。デジタル技術による情報取得の容易化は、ガバナンスそのものをアジャイルに変えていく(ガバナンスイノベーション)(p.246-262)。民間企業は国と一緒になって取り組む必要がある。その方向性としては次のように挙げられる(p.270-280)。インパクトに基づいて新たなガバナンス像を提案していく。インパクトに基づく市場と社会基盤を作る(調達基準の作成、社会基盤への啓発活動など)。コーポレートガバナンスの強化により、まず自社の信頼性を向上させる。また、日本の法の仕組みとその変え方について、かなり詳細で具体的な議論が書かれている(p.426-452)。
センスメイキング、すなわち各ステークホルターの納得感を様々なレベルで醸成していくことが社会実装には必要だ。(1)課題。理想と現状のそれぞれを認識し、かつその差分が重要ということを納得してもらうこと。ビジョナリーな人は理想を訴えがちだが、最初に必要なのは現状が課題であることの認識だ。(2)現状。現状の認識は人によって異なっていることがある。まず現状の認識を合わせ、納得しないと、課題感の共有にも進めない。(3)インパクト。インパクトを納得してもらうには、その背景にある価値観が共有できるかが大事。(4)解決策としての技術。現状、インパクト、課題の納得感があって初めて解決策の話ができる。解決策については、その内容、技術をいきなり説明するのではなく、解決策の導入で実現される成果、便益から説明を始めるべきだ。(5)リスク。人はそれぞれの主観的なリスクの捉え方がある。こうしたリスクの捉え方、すなわちリスク認知は特に専門家と非専門家の間では違いが大きい。また、リスクの許容水準も人によって異なる。そのため、リスクについて事前に周知し理解を推進することが解決策の次に必要。(6)ガバナンス。ガバナンスではそもそもルールの変化に対して合意を取ることが難しい。またガバナンスの変化は、感度の高い人には情報が届くものの、そうでない人にはなかなか届かないと難しさもある。事前に能動的に関わってもらうことは難しく、事後的な認知になりがちである(p.323-334)。
納得感を醸成するためには、いくつかの効果的な方法がある(p.336-366)。(1)物語(ナラティブ)。事実やロジックではなく、主観的な理解をもとにしたストーリーのこと。物語は与えるものではなく、共同構築するものであり、ステークホルダー自身が語ることが重要である。物語を語るのに使える有効な方法は、ビデオ、事例、当事者との会合などがある。(2)フレーミング。事例として、ダンスクラブに対する風営法の規制改正を、インバウンド需要を含む夜の経済圏を作るというナイトタイムエコノミーにフレーミングを変更したことで、より公益を意識した広い議論が可能になった。(3)概念形成。新たな言葉や概念ができることで、人々に回顧的な認知を引き起こすきっかけとなる。そうした言葉や概念が人々に経験を思い出させて、さらなる物語の生産を促す。(4)データを示す。自らデータを収集して公表することにより、現状や課題に対する認識を広める。ホワイトペーパーのような形でなくとも、数十人の声を集めるだけでも説得力は変わる。データの正確性よりももっともらしさが人を動かす。(5)参加型の取り組み。ユーザーが参加することで主体感が生まれ、納得感につながる。他人の行動を変えたければ、その人に対して主体感やコントロール感を与えるべきだ。参加したユーザーにテクノロジーを実際に使ってもらって、何かを一緒に作っていく取り組みも有効。(6)プロトタイプ、小さな成果。アプリであれサービスであれ、具体的なものがあることで説得力が増し、フィードバックも具体的になり改善しやすい。
経営学やイノベーション論を中心に、多くの学問的知識を動員して、読者に身近な事例を交えて方法論まで語っている。とても説得的で参考になる一冊だろう。何だか無駄にカタカナ語が多く、ちょっと読みにくい。カタカナで写音した英単語を特に使わなくても、対応する日本語で十分に理解が可能なので、著者にあまり付き合わず読み替えるのがいいだろう。
この本のスコープからして、技術が独立してまず存在して、それをどう社会に実装するかという枠組みになっている。技術に合わせて一方的に社会を変えるのではなく、社会の各ステークホルダーの納得感を持って、その社会における変革の方法で変えていく(社会との実装)とされていても、技術の自律性がなんとなく想定されている。ないものねだりになるが、むしろ社会の考え方(社会的合理性)に合わせて技術そのものが変わる場面もなければならない。そうした方法論は、科学技術社会論にある。本書には科学技術社会論も登場するものの、基本的にリスク論としてしか捉えていない。コンセンサス会議もリスク面、倫理面のアプローチとして紹介されている(p.353)。自律的に成立した技術がまずあって、それを実装するために社会を変えるという単線的な見方がここには見られ、技術自体が変わるという側面が落ちている。この視点は方法論でも、事例研究でも通底している。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
別館:note
コメントの投稿