読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
とても興味深い一冊。人々のつながりを作り助け合いを醸成するためには、そもそも人々が集うことのできる場所が必要という主張。社会関係資本が育つかどうかを決めるこうした物理的条件のことを、本書では社会的インフラと呼ぶ。世界各地で社会的インフラを作ろうとしている試みや、適切な社会的インフラで社会課題の明暗が分かれた事例を自然実験として取り上げて論じている。実証的な社会学、社会疫学的な視点が見られるのも好印象。
従来、社会の分断を防ぐための方法として3つが考えられてきた(p.26)。(1)経済成長。しかし経済成長は万人がその恩恵を共有できるときにのみ社会の分断を防ぐ。(2)物理的なシステムを構築してセキュリティを高めて、人と物の循環を円滑化する。(3)町内会や政治団体など、自発的に公益活動に取り組む団体活動を奨励する。だがこれら三つはどれも部分的な解決に過ぎない。あらゆる人が集まれる場所、社会的インフラの整備こそ、分断した社会を修復する最善の方法である。
社会的インフラが衰えると、社会活動が妨げられ、友達や近隣住民の接触や助け合いが減る。1995年シカゴの熱波での地区別の死亡率の差に関する社会疫学研究から、このことは議論される。地区の人々がお互いに助け合う努力をしていても、社会的インフラが不足している地区では助け合いが妨げられていた(p.16-21)。社会的インフラに当たるものは、図書館や学校、公園などの公共施設だ。また、歩道や市民農園など人々を公共の場に誘う緑地など。教会や市民団体などの地域団体の人々が集まる固定的、物理的スペースもそうだ。食料品などの定期的なマーケット、商業施設。カフェ、理髪店、書店など何も買わなくても、集まって長居することが関係される場所もある。オルデンバーグがサード・プレイスと呼んだものだ(p.33)。本書の原題である"palaces for the people"は、アンドリュー・カーネギーが世界中の2800ヶ所に建設した図書館を指して呼んだ言葉(p.43)。この宮殿を取り戻すことが必要だと著者は主張する。
例えば物理的な設計の違いで、犯罪の多い荒廃した団地になるかどうかが分かれる。セントルイスのプルイット・アイゴーとカースクウェア・ヴィレッジは好例だ。低層で世帯数が少ないカースクウェア・ヴィレッジでは共用スペースの使い方に住民が合意できたが、あまりに大きいプルイット・アイゴーでは合意は不可能で、共用スペースは荒廃したと1960年代にオスカー・ニューマンは論じている(p.85-89)。またほぼ全員がアフリカ系アメリカ人の貧困層からなるアイダ・B・ウェルズ団地では、きちんと手入れされた緑地を持つ棟では犯罪発生率が低いことを、景観建築家のウィリアム・サリバンと環境科学者のフランシス・クオは見出した。これらの緑地は、住民に頻繁に利用されるため、さりげない監視が行き届き、当事者意識と管理意識が高くなっている(p.117f)。ただしこの記述だけだと因果が逆にも思われる。すなわち住民の当事者意識や管理意識が高くないと、緑地はきちんと手入れされないだろう。
この手の話、すなわち物理的環境と治安の話では割れ窓理論が有名だ。提唱者のジェームズ・ウィルソンとジョー・ケリングは、軽犯罪を積極的に取り締まるよう促した。それにより、不審人物の職質や所持品検査が増え、マイノリティー(特に黒人男性)を不当に扱っているとの批判が急増した。著者によれば、割れ窓理論は、そもそも窓が割られるような空き家が存在することを考慮外にしている。犯罪学者ジョン・マクドナルドと疫学者チャールズ・ブラナスは、空き地を整備すると犯罪が減ることをフィラデルフィアの自然実験から示している(p.92-106)。
大学をはじめとして、若い人たちの集まる場所について独立して論じている。SNSが私たちを孤立させているとはよく聞く。だが実は、アメリカ人の人間関係の量と質はインターネット登場前後でほとんど変わっていない。むしろ例えば若者では、用心深い親や学校の監視の目が増え、放課後に予定が詰まっていて自由時間がなくなっている。こうして集まる場所としての社会的インフラは減っている。インターネットが若者の中核的な社会的インフラになったのは、意義ある繋がりを求めて物理的な場にアクセスする機会を、大人が不当に奪ってきたからだ(p.68-71)。
例えば団体スポーツへの参加は、参加した本人だけではなく、親など周りの人間に関しても社会関係資本を高める。子供がスポーツチームに属することにより、その親同士にもつながりができる。著者自身がサバティカルでスタンフォード大学へ行った時に、息子が地元のサッカーチームに参加して社会関係資本が構築された体験が書かれている(p.235-239)。
アメリカの大学、特に有名大学ではフラタニティー(友愛クラブ)が有名で、学生が集まる場となっている。フラタニティーは大学生活の多くの側面に影響を与える社会的インフラだが、差別や暴力が蔓延する危険な閉鎖的空間でもあるとして論じられている(p.136-140)。シカゴ大学は、治安の悪い近隣地域から大学を守るために閉鎖性を高め、キャンパス内の学生用の社会的インフラ(図書館、カフェ、美術館など)に投資してきた。だが21世紀になって、地域との分断に橋をかけるような社会的インフラの構築に乗り出した。大学外の西側の地区をアートブロック(芸術区)とするプロジェクトなどがある(p.140-149)。また、キャンパスを持たないミネルバ大学が、学生が集まった際に地域で活動するなど、社会的インフラを作る試みも紹介される(p.151-157)。
社会問題の解決に社会的インフラの構築を活かす事例が現れてきている。強力な社会関係資本を持つコミュニティは、オピオイド危機を回避する可能性が高いというハーバードの大学院生の研究(p.171-177)。1970年代、ヘロイン乱用者が急増したスイスは、1987年には街のある公園で薬物使用を許可した。だが公園付近で犯罪が増加したし、合法化しても乱用者を一掃するには役立たなかった。そこでヘロインの使用を医療機関で、医療品レベルの品質のものを、最低限の量を投与するようにした。ヘロインの入手ルートの心配がなくなった多くの乱用者は、医療機関でソーシャルワーカーと信頼関係を構築し、社会復帰を進められるようになった。1990~2002年の間にスイスではヘロインの新規利用者は8割も減った。スイスのアプローチは、有効な社会的インフラとして世界のモデルとなり、オーストラリアやイギリスで安全な薬物投与クリニックが実験的に設置されている。アメリカでもボストンのメタドン・マイルで2017年に、オピオイド乱用者のシェルターが設けられている。
公営プールの話も興味深い(p.214-221)。アイスランドでは、政府が投資してきたおかげで、地熱を利用した公立の温水プールが世代や階級を超えた温かくて親密な付き合いや、活発な交流を生む社会的インフラとして機能している。だがそれは、プールで提供されるプログラムが包摂的か排除的かによって機能を変える。19世紀後半から整備されたアメリカの公営プールは、アイスランドの温水プールとは違って、体を洗うシャワーの施設が無かった。1930年代に男女が同時に利用できるようになると、黒人と白人の接触に不安が高まった。1950年代までにアメリカ北部のスイミングプールは人種分離の規則を設けた。この規則が最高裁に否定されると、各地の自治体は男女別利用を復活させたり、民間に移管したり、公営プールを閉鎖したりした。現在のアメリカでは、1900年代半ばよりも公営プールの数は少ない。
図書館のような社会的インフラは有意義な社会的交流の機会を増やすだけでなく、災害時など危機のときには生死を分ける機能を果たす。図書館は、人々を物理的に結びつける機会を提供する。2008年、オハイオ州の予算削減に抗して、コロンバス市は図書館への投資を行っている。フェイスブックやグーグルは公共インフラにタダ乗りしているだけで、全米に図書館を作ったカーネギーのような動きができるのか、と著者は問いかける(p.309f)。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
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