読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
とてもよく書けている良書。ビジネスや企業経営と、人権問題がどうかかわるのかを書いている。人権問題というと法律家やNPO関係の人が書いたり発信したりすることが多い。個人的には、それらには人権はどんなにコストをかけても守られて当たり前という感覚が強い。軽視されるべきでないのは当然としても、どの程度のリスクがあってどうコストをかけていくべきかという、ビジネス的発想からは距離を感じることが多い。本書はもともと戦略系コンサルティングファームに在籍していた人々が書いていることもあり、個人的には論じ方がとてもすんなり通る。
ビジネスの場面において、人権は近年大きな問題になりつつある。人権問題へのビジネス側の取り組みは、日本は欧米に対してだいぶ遅れている。2020年頃まで人権リスクとして日本の多くの経営者が想起したのは、部落差別やセクハラ、パワハラ、長時間労働といった労働問題だった。しかし昨今では、広告表現や、機械学習の公平性、サプライチェーン上の他の企業の人権リスクなど、大きく広がり続けている。以前は人権侵害のラインは法令によって決められていたので、人権リスクとはコンプラ違反だった。だがいまや人権侵害かどうかを決めるのは投資家、メディア、NPO、そして一般消費者にまで広がっている(p.48-53)。遅ればせながら日本でも、人権はビジネスのトピックとして高まりつつある。2020年の有価証券報告書に人権という言葉を使った企業の数は、前年の1.5倍に増えている。多くは「コーポレートガバナンスの状況」における記載だが、「事業等のリスク」への記載が急増している(p.19f)。
なぜ人権がビジネスのトピックとして盛り上がってきたのかは、きっかけがある。人権リスクの拡大のきっかけは2011年の国連で採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」の発表だ。この指導原則が、人権に関する様々なルールの拠り所となっていて、迷ったら立ち返るべきものとなっている(p.98f)。この国連指導原則で求められる企業の義務は、3つ定められている。(1)人権方針の策定(人権尊重責任に関するコミットメントの明示)、(2)人権デュー・ディリジェンス・プロセスの実施(人権リスク評価、防止・軽減措置の実施、モニタリングの実施、外部への情報公開)、(3)是正措置(苦情処理メカニズムの整備)(p.129-180)。
人権は思わぬところからビジネスに影響を与え、リスクとなる。人権リスクはビジネスに対して売上低下、コスト増大、企業価値の毀損といった影響を与える(p.60)。本書は人権リスクの扱いがまずく、問題となった事例も多く掲載されている。例えば2020年9月の全米オープンで大坂なおみ選手がBlack Lives Matterのマスクを着けて出場し、人種差別に毅然とした態度を表明した。この時、大坂選手のスポンサーであった日清食品は人種差別問題には触れず、大坂選手をかわいく扱うことに終始したことに批判が集まった。一方、2018年にセクハラ問題で経営幹部が複数退任したナイキは、大坂選手に賛同して人種差別反対のプロモーションを行った。この日清食品とナイキの対比からうかがえるのは、自社の事業領域と関係なくとも、社会運動に企業として意思表示をしないと、その課題の現状を容認していると思われてしまうリスクがあることだ(p.92-94)。
国連指導原則に対応しようとして真っ先に行われるのが、サプライチェーンの上下流における人権問題の調査、デュー・ディリジェンスだ。例えば、2021年ドイツの「サプライチェーンにおける企業のデュー・ディリジェンスに関する法律」では、一次サプライヤーに対して人権デュー・ディリジェンスを義務付けている。また、二次サプライヤーに対しては人権リスクが顕在化した際のデュー・ディリジェンスを義務付けている。このため、ドイツで企業活動を行っていない企業でも、サプライチェーンに入っていれば対象となりうる。また、アメリカでは関税法によって、人権侵害に加担している恐れのある製品の輸入を差し止めることがある。2021年1月には、ウイグル自治区由来の綿製品とトマトの輸入が禁止された。この措置はユニクロが輸入差し止めにあったことでも有名だ。同様の動きはカナダにもある。さらに注意すべきは、国ではなく各企業が策定する「調達ガイドライン」や「サプライヤー行動規範」である(p.101-113)。
各企業の調達ガイドラインでは、サプライヤーに対して、人権への取組状況を自己回答させる「セルフアセスメント質問票SAQ」を定期的に提出させることが重要。だが個々の会社がそれぞれのサプライヤーに個別に調査を行うと、サプライヤーは同じ内容なのに異なるフォーマットで対応することになり非効率だ。そこで、既存のツールやフォーマットが多く準備されている。グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンのCSR調達セルフアセスメント質問表や、クラウド上で一元管理するCedexのサービスなど(p.165-168)。また苦情処理メカニズムも共同プラットフォームがある。外国人技能実習生向けの「責任ある外国人労働者受け入れプラットフォームJP-MIRAI」など。コスト面を考えれば、一企業が単独で取り組むより、共同プラットフォームを利用したほうが良い(p.179f)。こうしたものはベストプラクティスとして整備されていくだろう。
人権問題特有のリスクの捉え方は、ビジネスにおけるどんな対応においても念頭に置いておくべきだろう。国連指導原則では、深刻度と発生可能性の2軸で人権リスクを評価している。このうち、発生可能性よりも深刻度の方が重く評価される。すなわち、発生可能性が高くなくても、人権侵害の深刻度が高いリスクは優先して対処すべきものとされる。深刻度はさらに人権侵害の範囲と程度(規模・救済可能性)に分解される。このうち、程度のほうが重視される。すなわち、多くの人の人権が少しずつ侵害されるより、一人の人権が大きく侵害される方が深刻度が高いという考え方が基本にある(p.142-145)。人権問題は環境問題と違って、オフセットという概念がない。人権は一人一人に固有のものであり、別の活動で埋め合わせできるものではない(p.128f)。
環境問題と人権問題の、社会やビジネスにおける扱われ方の並行性は興味深い。環境問題もかつてはビジネスにすべきではないという風潮があったが、1997年の京都議定書採択以降、105兆円とも言われる環境ビジネス市場が立ち上がっている。人権も2011年の国連指導原則策定以降、ビジネスとして立ち上がりつつある。人権の保護や尊重に主眼をおいて開発された製品やサービスがその例だ。コバルトフリーのバッテリー、危険な箇所での作業ロボット、エレベーターの中の鏡に代表されるインクルーシブな製品など(p.205-213)。
環境問題も昔は市民団体や国際NPO、それらに動かされた行政機関などが企業に対して対応を迫るもので、企業にとってはコンプライアンスなど守りの姿勢が多かった。それが環境問題への対処がビジネスのテーマとなり、いまや一部では環境対応しているもののほうが安価となりつつある(化石燃料エネルギーと再生エネルギーなど)。人権も、いまはまだ企業は守りの姿勢で接しているものが多く思われる。それがビジネスのテーマとして「稼げる」ようになってくると、劇的に変わってくるだろう。人権ビジネス大きく育てていくには、調達ガイドラインの制定、顧客の先にいる顧客の顧客への働きかけ、民間団体としてのルール形成、 NPOやNGOとの対等な連携によるコレクティブ・インパクトといった戦略が扱われている(p.214-230)。
ビジネスにおける人権問題とは何か、気になった人に誰にでも手渡せる貴重な一冊。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
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