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土屋雄一郎『環境紛争と合意の社会学』

廃棄物処分場などの迷惑施設、NIMBY(Not In My BackYard)施設を巡る環境問題の合意形成のパターンについて書かれた一冊。フィールドワークに基づく具体的な事例を、社会学理論的な考察が支えている。文体はやや硬いし、理論的・抽象的な文言による叙述のところは、門外漢にはなかなか難しいところもある。


環境問題の合意形成は、4つのパターンに分けられ、それぞれ実例により分析される(p.25)。(1)合理的手続き主導による公論形成(長野県中信地区の廃棄物処理施設検討委員会)、(2)共同体規範による主導(岩手県江刺市の増沢自治会)、(3)行政主導(長野県阿智村の社会環境アセスメント)、(4)生活世界との連動(沖縄県平良市の環境保全条例制定の失敗)。


それぞれの合意形成パターンは、それぞれの問題を抱える。ただ、この本ではどういう時にどういうパターンが採られるべき、といったガイドブック的な分析はしていない。公論形成の問題は、社会的な格差や機会の非対称性といった問題を見過ごし、平等な機会均等という形式主義の原則にのみ寄りかかり、具体的な善を達成できないこと。しかし地域社会の特質を踏まえた共同体規範による合意では、共同体とは異なった解釈や規範を持つ他者、境界的メンバーを排除するおそれがある。公的機関、行政による合意形成では、行政の取る社会工学的アプローチがあるべき姿を目標として設定して調整していくため、あるべき姿に対してマイナスとなるものを削減することに関心が払われ、あるべき姿そのものが問われなくなる。住民の主体性に基づく住民投票による合意形成は、一人ひとりに賛成か反対かの選択を強いることになる(p.32-40, 35-51)。


具体的な事例の分析はなかなか興味深い。長野県の最終処分場の事例では、合理的な手法による客観的なプロセスでの合意形成を重視した。それにより、不透明な意思決定を排除することに一定の成果を収めている。しかしそれは住民たちがこれまで立地計画に対し抱いてきた、実感や思いを排除してしまう。結果として、この合意の妥当性は手続き的、形式的に承認されるしかなくなった(p.82f)。岩手県江刺市の増沢地区の自治会は、産廃処理場問題をより広域の地域全体に拡張しようとする団体の運動には乗らなかった。それが地区に分断をもたらすことを回避し、共同体としての決断を可能にした(p.106-115)。


長野県阿智村は、処理場周辺の地元と県事業団の間の問題を、社会環境アセスメントという形で本来は権限のない村に取り戻した。村としての合意形成を行政が主導していく格好。対立を避けて地域社会における立場を保つために、住民は社会環境アセスメントに判断の主体性を預けた。そのことは、住民に処理場問題そのものについて考える意思決定の主体性をやがて失わせ、社会環境アセスメントという村行政の営みへの評価しか住民はしなくなった(p.134-143, 151f)。


石垣島の平良市で起こった産廃処分場の火災から、環境保全条例の制定への議論が始まった。当時の廃棄物処理法では、施設への立ち入りなど、産廃行政に市が関与する法的根拠がなかった。条例は、コントロールを市に取り戻すもので、各地の運動を支えた専門家や住民とともに基礎づけられた理念に基づく、質の高いものだった。条例により、住民は長年続いたパターナリズムから転換し、主体性を発揮するものと位置づけられた。しかし、条例は市議会で継続審議と否決を繰り返し、廃案に追い込まれていく(p.173f)。この事例では、県と市の環境調査のお互いの科学的正しさを巡る議論に重視し、被害住民の調査も賠償も進まなかった。住民たちは文字通り「迷惑(迷い戸惑う)」ばかりで、被害の前に立ちすくんだ(p.181-186)。環境保全条例の制定がなぜ進まなかったのかは、よく読み解けなかった。業者へ有効な手を打たない県への不信感が強く、条例を制定しても意味がないとの思いだったのだろうか。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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