読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
当時とても有名になった一冊。日本史を「中国化」とその反動というキャッチーなフレーズで捉え直した。学問的には内藤湖南から宮崎市定、網野善彦といった歴史研究の主流を踏まえている。ただし、教科書的な通説や一般常識に対する揶揄や皮肉と、歴史的な事項を現代の制度や事象につなげる短絡的なフレーズがどうにも理解を阻み、きわめて読みにくい。こういうものは講義などリアルタイムな内輪の会では有効に機能するが、一般的な書籍としては要らぬ反感や、フレーズを切り取った誤解を招く。こうした虚勢をはぎ取って何とか内容をつかもうとすると、フレーズの明晰さとは異なって論旨は不明確だったりする。勿体ない、惜しいというよりも悲しい。
本書の目的は、なぜ日本がアジアでもっとも近代化し、民主化して経済大国となったが、行き詰まってしまったのかの説明を、西洋化ではなく提供することだ(p.12-17)。西洋化に代わって提起されるのが中国化である。中国化とは、日本社会のあり方が中国社会に似てくること。とはいえ、現代の中国社会ではなく、あくまで理念型としての中国社会である。特にそれは、近世・初期近代の宋朝中国に求められる。その中国化の説明によれば、唐までは中国を手本としていた日本は、宋朝以降の中国を受け入れず、江戸時代という独自の近世を迎えた。そのやり方が終焉した結果、日本はついに宋朝以降の中国の近世と同じような状態に移行しつつある、という。
では宋朝中国の特徴とは何か。現在のグローバル社会の先駆けとも言える近世宋朝中国には、5つの特徴があるという(p.48f)。(1)貴族層の廃止による皇帝の政治的実権の掌握。権威と権力の一致。(2)朱子学イデオロギーによる、政治的正しさと道徳的正しさの一体化。朱子学は皇帝の支配を理念的に正当化する褒め殺しの思想である(p.38f)。(3)官僚の政治的位置と道徳的位置、すなわち徳の高さの一貫性。政治的に高位のものは道徳的にも優れている。(4)貨幣経済の浸透により農村共同体が解体され、地縁に関係ない商工業者がノマド的に流動する社会への移行。(5)地縁のような近くて深い人間関係より、宗族(父系血縁)に代表される広く浅い人間関係の重視。
こうした宋朝中国において中国が歴史的な大きな転換を遂げたというのは、もともと内藤湖南の説。これが現代の歴史学の通説だという。それは、貴族制度を全廃して経済や社会を自由化する一方で、政治は皇帝独裁により一極支配する仕組みを作ったこと。皇帝による最終試験(殿試)を科挙に加え、官僚を皇帝に属するものとし、郡県制で地方の地盤形成を阻んだ(p.30-33)。ここから現代のポスト冷戦の世界は国際政治のパワーバランスが崩れて、アメリカ一極集中している点で、この宋代の仕組みを地球規模に拡大したものに過ぎない、と言うが、本書執筆(2011年)から時を経たG0の時代に同じことが言えるだろうか。
ともあれ大転換を遂げた宋から、日本は多くを学び損ねている。科挙制度を日本が導入できなかったのは、科挙に向けた勉強のインフラ(教科書など)を整備するほど日本のメディアが成熟していなかったからである(ではなぜ成熟しなかったのか?)。後白河上皇と平清盛は中国銭を使って貨幣経済を導入するグローバリズムを採ったが、実際には国際市場に通用する産品も持たない関東の坂東武者たちによる反グローバリズムに敗れた。このグローバリズム対反グローバリズムは源平合戦から戦国時代に至るまで続き、江戸時代で反グローバリズムが完全にグローバリズムを駆逐して長期安定政権が実現したのだ、というのが著者の見立て(p.41-47)。日本ではたまに中国風の政権が樹立されるのだが、短命に終わる(後醍醐天皇、足利義満など)。それとは逆に、中国でもたまに日本風の政治秩序が樹立されるが短命に終わる。明朝、毛沢東時代など(p.61-64)。だが明朝の政治経済の仕組みは現代中国を基本的に規定しているという話もあり、その観点では現代中国はきちんと「中国化」していないのだろう。
著者は自分で否定しながらも、この本には日本は抵抗し続けてきただけで中国化は必然だ、という臭いが漂う。例えば、高麗王朝はモンゴルの侵入を許したが、国家としては滅ぼされていない。元寇はモンゴル帝国の自由貿易経済圏に組み入れられることを拒否したゆえの、しなくてもよかった戦争だと(p.56)。この辺り、だいぶ一面的な見方と思える。グローバリゼーションが絶対的な正なのだろうか。国家は残すのはモンゴルの支配のやり方であるが、建前としての国家は残っても、実質が何かを問うべきだろう。東洋版タタールの軛とか。
16世紀後半に日本とラテンアメリカ(ボリビアのポトシなど)から銀が中国に大量に流れ込み、その対価として高級品が大量に中国から世界にもたらされる。これが奢侈欲を煽り、世界中が戦国乱世になる。基本的にこの乱世を収束した社会が現代まで続いているという見方(p.65f)。銀の世界的な流れとそれに伴う商品の流れに注目するのはいまの歴史の見方で、納得できる視点だ。
そしてこの戦国乱世を抜けて、日本でできた社会が江戸幕府である。中国では600年以上前に廃止されている身分制度を江戸幕府が選択した理由は興味深い(p.84-88)。農民については、稲作が普及して自分の田んぼの管理さえできれば食べていけるようになった。地形や気候が地域で様々な日本では、耕作地を世襲させて家ごとにその地にあった農作を継承させるのが理にかなっていた。商業については、国家規制による既得権益の保護に等しい。ただし、なぜ稲作がそれぞれの家だけでできるほど普及・効率化したのか、説明がなく理解できない。
江戸時代では政治権力は武士が握っているが、経済的な実益は商人が握っている。武士内部でも、政治の実権を握る老中は小大名の家だった。このような「権と禄の不整合」は平等感がある一方、水戸藩や薩摩藩などの大大名、また下級武士層に不満を蓄積させた。明治維新ではその不満が爆発することになる。明治維新とは文明開化とか進んだ人々による改革ではなく、このような抑圧されていた層による反乱である。江戸幕府は中国化に徹底して反対する体制だったのだから、明治維新後は南北朝以来久々の中国化一辺倒の時代となる。その特質は、(1)儒教に依拠して権力集中の正統性を道徳イデオロギーで正当化する、明治天皇という専制王権の出現、(2)高等文官任用試験という科挙制度の導入、(3)武家という世襲貴族の廃止(秩禄処分)と、県知事の派遣という郡県制の導入、(4)地租改正による土地売買の公認、官有事業の払い下げ(民営化)による市場の自由化という、宋朝中国の特徴そのものである(p.105-108, 124-131)。
明治維新という中国化の進展に対して、反動として再江戸時代化の動きが起こるのだという。自由民権運動は、政治的な権利や身分の平等を求めた近代西洋的な市民革命ではなく、明治期の市場競争に適応できない人々の反動的運動と見ることができる。明治の半ば頃から、日本社会は本当に江戸時代に戻り始める。まず議院内閣制が憲法に定められておらず、総理大臣の地位が曖昧(閣僚の罷免権すら与えられていない)で、これは儒教イデオロギーに支えられていない徳川幕府に似ている。日清戦争後は、明治初期の小さな政府の傾向とは違って、軍備拡張、我鉄引水の戦国大名的な土建行政が再生する。地元の有力者が代議士になって政友会を通じて自分の地盤に補助金を分配させる、封建性のような仕組みが定着する(p.136-140, 143-153)。
そうした反動としての再江戸時代化は、太平洋戦争まで続く。第一次世界大戦の前後から、主にホワイトカラー層において会社の「村社会化」が始まる。会社別の労働組合はその一例だ。終身雇用・年功賃金の仕組みも、20世紀初頭から幹部候補生を中心に始まる(これは始まりに過ぎず、むしろ翼賛体制のほうで見るべきものだろう)。これは百姓の家を地域に縛り付けていた村社会の近代版と見える。こうした会社の村社会化による働き化の再江戸時代化は、次第にブルーカラーへも及んでいく(p.168-170)。1940年以降の翼賛体制は、軍部主導による集団ごとの社会主義と特徴づけられる。農村地域は在郷軍人を中心にまとめられ、都市部の労働者は会社・工場単位で産業報国会にまとめられた。日本以外のソ連、中国などの社会主義は国家全体で経済管理や住民統制を行うもので、粛清などの副作用が大きく、戦後西欧の労働党・共産党政権もゼネストなどの副作用を抱えた。日本の場合は分割された封建社会主義だったので、問題が起こっても分割された区域だけにとどまり、副作用がもっとも少ない社会主義となった(p.180-185)。近代日本の植民地統治も、江戸時代の仕組みを東アジアへ輸出する試みとして理解できる。朝鮮や台湾における創氏改名は、朝鮮人や台湾人を日本民族に吸収しようとする同化政策ではなく、現地の中国的な父系血縁(宗族)ネットワークの解体である。父系血縁集団を分割・弱体化し、家を単位とする近世日本以来の支配構造に組み込むのが主眼(p.191-195)。
こうして、日中戦争は2つの近世社会が戦った文明の衝突だと捉えられる(p.201-205)。蒋介石も毛沢東も、中華の伝統である世界的な普遍性を主張する道徳による正戦論で、日本のローカルな江戸時代的な軍事動員を凌駕した。日中戦争が行き詰まるにつれて、中華文明的に日本を変えないと勝てないという流れが生まれる。つまり日本社会の一部に中国化の流れが甦る。これが大東亜共栄圏の看板であり、儒学者のような知識人の重用(典型的には陽明学者の安岡正篤)であり、東条英機による集権的な皇帝専制である。総力戦体制のもとで経済社会の構造は再江戸時代化していたが、政治権力の面では中国化が進展している(p.206-208)。
この太平洋戦争あたりまではいいのだが、戦後の話なると切れ味が鈍る。「中国化」と言っているものはほぼ、グローバル化・市場開放に等しくなり、普遍的に通用するイデオロギーによる正当化といった論点は落ちる。切れないナイフを振り回している感じが強まる。都市への人口流入に歯止めをかけ、地方を発展させる政策をとった田中角栄は、再江戸時代化の徹底として見ることができる(p.225-227)。自民党を割った小沢一郎と、細川政権までの動きは、武家社会を割って出た不平分子が政局を動かした明治維新に似ている。小沢一郎の構想は、グローバルな理念に基づく自衛隊の海外派遣、小選挙区制の導入、自由主義的な競争社会への再編など、中国化と呼べる提案だった。しかし選挙対策に関してだけはなぜか江戸時代的なところがあり、業界団体や労働組合と言った既存の組織票をあてにした(p.244-249)。小泉純一郎政権は明治維新以来久々の、中国化政権である。地域の封建制の中間団体を族議員として除外、グローバルに通用する新自由主義を採用した(p.257)。例えば、小泉政権は権力を正当化できる普遍的な価値を背景にしただろうか。そうした価値を顕わにしないのが戦略だった。またイラクやアフガニスタンで傀儡政権を立てて失敗したアメリカは、地域ごとに仕切った封建制を打ち立てようとしたものである(p.234f)ことは、著者によると江戸時代的な発想だが、その背後には自由主義を普遍的価値とする中国的な発想があるはず。
当たり前だが西欧化、とりわけ国民国家化という説明を避けているため、中国化/江戸時代化という概念対で分析できないものが多数生まれている。中央集権化、普遍的な理念による権力の正当化、商業を中心とする自由主義市場、といったものは、例えばフランス絶対王政から、その後の国民国家への流れにもある。それは中国化なのだろうか。特に民主主義的国民国家を中国化/江戸時代化で説明するのは無理があり、それは明治以降、国民国家を目指した日本の歩みが見えなくなる結果を生んでいる。
おそらく著者が言いたいのは別に中国化ではなく、もっと世界史に普遍な何らかの傾向だろう。それがゆえか、著者はこの著作以降は「中国化」というキャッチーで誤解されやすい用語は避けている。またこんな揶揄と皮肉、短絡的な思考では学問的にやっていくのは難しかろう、と思ったら、著者は歴史学者の看板は下ろし、評論家として名乗っているようだ。さもありなん。著者は筑駒の、それも成績上位層という超エリート出身なのだが、こんなルサンチマンをどこから背負ったのか。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
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