読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
公害や廃棄物処理場といった環境問題が、いかに発生していかに解決されるのか、様々な事例から9名の著者が書いている。記述のレベルや着眼点は様々で、副題にあるような解決過程には必ずしもフォーカスしていないと見えるものもある。事例は、足尾鉱毒事件、新潟水俣病、沖縄地域開発、河川行政、長良川河口堰問題、滋賀県の石鹸問題、リサイクルの日米比較、豊島不法投棄問題。
第1章はこの分野の主導的な研究者による総説。環境問題が解決に向かうときの要素をマクロ(社会情勢、政策優先順位)、メゾ(公害調停制度などの制度面)、ミクロ(実際の活動主体)から整理している。実際の地域において、情報収集と学習能力を備えた緊密な組織が主体的に動くことを何よりも強調している。日本の公害の出発点となる足尾鉱毒事件の経緯は、国や栃木県の動きに問題が多く、被害者もまともに補償されたとはいえず暗澹たる気持ちになる。その後の公害問題の解決過程との対比となる。
第4章の沖縄開発問題は蒙を拓かれる部分が多かった。琉球処分のあと、しばらくは清朝政府への配慮もあって王朝時代の慣行が存続する。その配慮は日清戦争で無くなるが、日本政府の関心はむしろ台湾の開発に向かい、沖縄の開発と発展は後回しになってしまう。また沖縄と言えば砂糖キビ畑の風景が浮かぶが、これは1950年代、アメリカの占領政策によって、甘藷や水田からの転作で作り出されたものだ。
第5章の河川行政では、治水から利水、反対運動への対応まで、建設省が通産省や環境庁に対して掌握していく過程が書かれる。補償の仕組みを整えて、補償までパッケージ化して公共事業とすることで、自治体はこの仕組みに乗るだけとなる。第6章はかなり面白い。これは長良川河口堰の問題について、反対派と建設省の間の対話集会の様子を、実際の会話録から論じている。会話録から見えるのは、建設省側が反対派からの質問にただ答え、「理解を求める」という、およそ対話とは言えない光景だ。対話の場を開くことは環境問題の解決に重要なアプローチとはいえ、ただ開いただけでは何も解決しないことが具体例をもって論じられる。
社会問題はいかにして解決されるのか、という疑問から手に取った本。知らないことを多く知れた。豊富な具体例と一般的な俯瞰した視点も両方含まれており、役に立った。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
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