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鳥海不二夫・山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか』

情報の摂取も食事とよく似ています。情報摂取には、新たな知見を得て、賢くなるという側面と、エンターテインメント、楽しみのためという側面があります。一方で、 情報摂取には私たちが食事をするときに働かせているような「抑え」は存在せず、毎日好きなものばかり食べている状態に近いでしょう。しかし、食事については私たち自身をアップデートさせてバランスを考えるようになったのと同じように、情報についても私たち自身をアップデートさせ、バランスの良い情報摂取を実現できるのではないでしょうか。(p.8)

計算社会科学者と憲法学者による、ソーシャルメディアを中心とするいまの情報空間の分析と、それがもたらす分断への対処法。結論としては「情報的健康」という概念を提起している。これは栄養素のバランスのよい食事が健康に寄与するように、偏りのない情報の摂取が健康(メンタルヘルス)に寄与する、という考え方。摂取するもののバランスに留意するものだから、絶食(デジタルデトックス)とは違う。バランスを考慮できるように、各情報の「カロリー表示」のようなものが 必要とする。本書は前半が現状の分析、後半が提言となる。


キーワードは、メディアに接する人の時間を奪い合い、なるべく自らのメディアに接してもらった方が広告収入が増えるので勝ちという、アテンション・エコノミーだ。アテンション・エコノミーは各ステークホルダーにとって均衡解になっているので、容易には変えにくい。つまり、アテンション・エコノミーにより多くの社会的問題が引き起こされることが分かっていても、情報提供者にとっても利用者にとってもアテンション・エコノミーを止める積極的な理由がない。そればかりか、利用者は本能的・生理的に、フェイクニュースやヘイトコメントのような質の悪いコンテンツを求める(p.26f)。


テレビやラジオといった従来のメディアだって、基本的には広告モデルを採用していた。よってある意味ではアテンションエコノミーの論理でビジネスをしていたと言える。しかしネットのプラットフォーム上では、コンテンツがバラバラに提示されて個々のコンテンツ単位で評価され、事業者に放送法上の規律もないため、アテンション争奪戦は激しくなっている(p.21-24)。旧来のメディアへのスポンサーと違って、今のネットの広告モデルでは広告主は自分の広告がどこに出るのかを決められず、コンテンツに対する関与ができない(p.29)。


アテンション・エコノミーの弊害として言われるのが、フィルターバブル・エコーチェンバーと、フェイクニュース。これらは多様な言論空間を崩壊させ、民主主義にとって有害な現象となる(p.112-122)。フィルターバブルとエコーチェンバーはよく似た概念。だがフィルターバブルは推薦システムが作り出す現象で、エコーチェンバーはユーザが自らフォロー先を選択したりして作り出すもの、という違いがある(p.77)。フェイクニュースが広まるのは、人間の心理の傾向に乗っかっているからだ。そうした心理の傾向としては、確証バイアス(もともと持っている信念に合致する情報ばかり収集する)、認知的均衡(自分が否定する人が推奨するものは否定の対象となる)、スラックティビズム(労力や負担のかからない社会運動めいた自己満足の行為)、ソーシャルポルノ仮説(心理的な快楽を与えてくれるような情報を求める)、ダニング・クルーガー効果(少し学習すると過度の自信を持ちやすい)が挙げられている(p.52-60)。新型コロナかの初期においてトイレットペーパーが不足するというデマや、LINEによるアンケートがクレジットカード番号を盗み出すというデマは、単なる間違った情報がいつのまにかデマとして広がるというパターンで、珍しいものではない(p.47f)。また、デマが広まったとしても、実際にそれを信じている人は意外に少なかったりする。新型コロナウィルスワクチンが不妊の原因となるというツイッターのデマは2021年前半に11万アカウントから32万回ツイートされたが、半分はh艇的なコメントで、肯定的なコメントの出所を追うとわずか29アカウントだった(p.62f)。


さてこのような現状について、何ができるだろうか。考えられるのは何らかの規制だろう。メディアに対する規制は、特段新しい発想ではない。そもそも日本の言論空間は、新自由主義的な放任思想ではなく、国民の知る権利を保証すべく国家によって設計・デザインされてきた。(1)放送メディアに特別の規制を与え、新聞には広範な自由を認めるなど、異なる規律によってメディアの多元性・多様性を作り出す部分規制論。(2)新聞の再販制度による、自由競争からの保護。(3)政見放送の義務化などの公職選挙法による規制。(4)取材源秘匿特権など、情報に対する特権的アクセス(p.99-103)。


ということで重要なのは、ユーザー一人一人がフェイクニュースやフィルターバブルといった病理現象に対する免疫を作ること。そして情報的健康を享受できる環境、すなわち異なる個性をもったメディアが多元的に存在し、個人がさまざまな情報にアクセスできる環境を国家が再構築することである(p.122)。こうして、言論プラットフォーム企業に求められることは次の3つ(p.123-132)。(1)フィルターバブルによる弊害の防止。推薦システムをユーザが複数のアルゴリズムから選べるようにしたり、セレンディピティを確保する。(2)フェイクニュース対策。ファクトチェックや情報源の信頼性の可視化。(3)選挙、災害、パンデミック、未成年者保護、有事(戦時)のような例外時には、公共的アルゴリズムに切り替えたり、UIを変更したりすること。また、プラットフォーム事業者に求められるガバナンスとして、次の4つがある(p.140-143)。(1)経営と編集の分離による、編成の自律性。(2)倫理審査委員会の設置。(3)コンテンツ審査委員会の設置。(4)実態把握の義務化。


少し閑話休題的に、データのプライバシーについての章がある。システムによる推薦は個別化(パーソナライゼーション)と呼ばれるが、実際には特定の属性を持つ集団に個人を振り分けたものであり、私の固有性に本当には配慮してはいない。つまり日本国憲法13条にいう、個人としての尊重を行っているものではない(p.163-167)。日本のプライバシーにまつわる権利規定は、個人が自分の情報を主体的にコントロールするという自己情報コントロール権を含めていない。この点で欧米の動向に遅れている。日本のプライバシーは個人のデータを所持した事業者の義務規定である(p.178-189)。


さて最後に情報的健康について。食品のカロリー表示のように、情報についてもその質を単一の数値でわかりやすく表示したい。(カーネマンの言う)システム1をどの程度刺激しているかを数値化する。サイトに含まれるコンテンツの偏りを表示して、自分の情報摂取行動のバランスを可視化すること(情報ドック)もしたい(p.206-216)。情報を評価するには、Currency, Relevance, Authority, Accuracy, Purposeの5つの項目(CRAAPテスト)があるという。日本語では、(発信元は)だれ?、(発信時は)いつ?、(内容は)事実?、(自分とはどう)関係?、(情報発信の目的は)なぜ?の「だいじかな」と定式化できる(p.203f)。また、国際ファクトチェックネットワークは以下の5原則を掲げており、これも役立つだろう(p.257)。(1)非党派性と公正性、(2)情報源の透明性、(3)起源・組織の透明性、(4)方法論の透明性、(5)明確で誠実な訂正。



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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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