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リサ・バレット『バレット博士の脳科学教室 7½章』

なぜか日本ではあまり有名でないような、脳神経科学の読み物。現在の神経科学が捉えている脳や神経の話を、時に通説を批判しつつ、平易に面白く書いている。脳神経そのものの話から、神経網、身体との関わり、他者、社会と徐々に広くなっていくように章が書かれている。前半は神経科学そのものの話なのでかっちりしているが、後半はやや話も散漫になってきているような印象をもった。また極力、専門用語は避けているので、どうもふわっとした話に終始することも多く思われる。基本的に本書はニューロンの話をしているが、脳の研究ではもちろんニューロン以外も見ることが大事(だが、分かっていない部分がはるかに多い)ことも言及されている(p.65)。


まず冒頭から、人間の脳が考えるために進化してきたという考えは、間違いであるし数々の誤解の元だと指摘する(p.11-13)。ちなみに、この素朴な目的論はポピュラーサイエンス本ゆえに許されるものだ(p.192)。進化の目的を導入しているのではない。考えるためではないとしたら何かと言うと、身体をどういう風に動かすか、身体(とそれによって為されること)のエネルギー配分の管理のためというのが著者の考えだ。


古代の生物は脳を持っていない。5億年ほど前のカンブリア紀で捕食という行動が生まれた。すると、捕食や捕食者から逃げるために、エネルギーを消費して身体を動かすようになった。身体を動かす必要が生まれる前に予測し、準備するアロスタシスの仕組みが獲得された。脳のもっとも重要な仕事は、理性、感情などの行使ではなく、複雑化した身体の予測による、アロスタシスの管理、身体の運用、身体のエネルギー(身体予算)の配分である(p.14-23)。だとしても例えば人間において、身体のエネルギー管理を行う器官そのものが20%弱のエネルギーを消費するのは妙な話に思われる。まあ、生物器官の目的の話は不毛なので置いておく。


よく人間の脳を、理性、情動、本能を司る三つの部分に大別する考えがある。これは本書で三位一体脳説と称され、批判されている。人間の脳が生存を司る本能的な爬虫類脳、感情を司る大脳辺縁系の哺乳類脳、思考を司る大脳新皮質の人間的な脳という3つからなるという三位一体脳説は科学的に間違っている(p.26-38)。この説の考えはプラトンに由来し、20世紀なかばにポール・マクリーン医師が解剖した脳の顕微鏡観察によって唱えた。しかし分子遺伝学の発展によって、まったく異なった見た目のニューロンでも同一の遺伝子を含むことがあることが発見された。人間の新皮質のニューロンでも、遺伝的に同種のニューロンが爬虫類や哺乳類に見られる。脳は地層のように進化してきたのではなくて、再組織化されてきたと考えるべきだ。胎児からの脳の発達の順序はすべての哺乳類で同じだし、爬虫類、鳥類、魚類の一部にも当てはまる。人間は、例えば大脳皮質のニューロンが生成される期間が、他の哺乳類より長い。他の哺乳類でも、鍵となる発達段階が十分に長く続けは、大脳皮質に組織化されていくニューロンを発達させる。人間の脳に新たに付け加えられた部位は存在しない。


ニューロンはネットワークとして働く。同じ行動、同じ感情であっても、その都度異なるニューロンによって実現されている。この多重実現を縮重と呼ぶ。縮重は、脳がニューロンのネットワークとして機能していると考えることが妥当であることを示す(p.57)。ニューロンのネットワークの形成は、学習によって、外界とのやり取りによって行われる。生まれたばかりの乳児の脳は、成人よりも多くのニューロンを備えている。ここからチューニングとプルーニングによってネットワークが整えられていく。こうしたネットワークの整備は、社会的環境(社会との接点となる保護者のケアや周囲から聞こえる音など)によって形成される。脳は、身体のエネルギーの適切な配分(身体予算)や注意を払うべきものを社会的環境によって学習していく。放置されて育った1960年代ルーマニアのチャウシェスクの子どもたちは、言語の習得が難しく集中力がなく、何に注意を向けるべきかを構築できていない。心の病を抱え自己のコントロールが困難であり、身体予算の管理が適切にできない(p.79-83)。


本書の一つの特徴は、予測符号化理論を平易に解説して、文化など社会的構成物へ緩やかに議論をつなげていることだろう。脳は過去の経験を用いて常に予測を行っている。よって脳は、自分が気づく前に行動をすでに開始している。これは自由意志の問題に関係している。現在の予測は変えることはできないが、私たちは新たな経験によって将来の予測を変えることはできる。私たちは、自分が考えてる以上に自己の行動や経験をコントロールできる。したがって、自分が望む以上の責任を負わなくてはならない(p.101-108)。


社会的現実、すなわちわれわれが物質的な事象に課した新たな機能は人間ならではのものである。それは、創造性(creativity)、コミュニケーション(communication)、模倣(copying)、協力(cooperation)、圧縮(compression)という5つのCの能力に基づく。特に圧縮は、他の動物にはない緻密な能力であり、情報を圧縮して抽象化を可能にする。階層的な大脳皮質のニューロン群は入力情報の圧縮を可能にし、圧縮は感覚統合を可能にし、感覚統合が抽象を可能にしている。抽象は物理的な形態に基づかない柔軟な予測を可能にする。これが創造性であり、そうして創造された予測をコミュニケーション、模倣、協力を通して他者を共有して社会的現実を作り出している(p.145-154)。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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