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亀井聡彦、鈴木雄大、赤澤直樹 『Web3とDAO』

クリプト系の投資ファンドによる一冊。Web3について具体的なサービスや企業の概観よりは、思想面を主に書いている。Web3がもたらすとされる、信頼を保証する機関のいらない自律分散型社会の夢を語っている。それによって現在の資本主義に代わるものが到来するなど、議論はやや大きく展開している。基本的にはWeb3の夢を見ている人たちによる一冊で、細かく見ると議論としては妙なところが散見される。


Web3はインターネットの歴史の1コマであり、WWWのようなテクノロジーの延長線上に位置づけて理解するべきである。イーサリアム・ファンデーションの宮口あやという人の、Web3はWeb1.0のビジョンを取り戻すことだというコメントを引用している。この観点は基本的に正しいだろう。インターネットとは万人のためのものであり、自由な情報発信を可能にするものだというのがティム・バーナーズ・リーを始めWeb1.0の思想であり、WWWは1990年に発表された。


しかしWeb2.0になってプラットフォーマーによりこの思想は堕落した、と考えるのがWeb3勢の常套だ。実際は、Web1.0の時点でポータルサイトや検索サイトによる寡占が始まっている。Web2.0は、ネットワークやCPUの性能向上による産業構造の変化を捉えてテイム・オライリーが2005年に提唱した。情報の主導権は企業側に移り、過度な独占なプライバシー問題など、負の側面が顕在化してくる。そんななか2008年のブロックチェーンの登場で、情報の管理を特定のプレイヤーに委ねなくてもよくなり、独占やプライバシーの問題を解決するための道が開かれた。ブロックチェーンが起点となったWeb3ではユーザのデータはインターネット上にあり、そのコントロールもユーザ自身が握っている。こうして、資本によって独占されているものを人々に取り戻すのがWeb3だ。


2010年代になって流行したtiktokとInstagramは、ただ単に人とつながるためのメディアではなく、個人に自己実現とマネタイズの手法を与えた。そのため、力あるコンテンツを作れるテクニックの勝負になってしまった、という。とはいえ、Web3ではこの傾向はずっと増していくだろう。プラットフォームが何も調整しない世界になるのだから。Web3では個人が中心になるオーナシップ型のエコノミーになる。データが誰のものかは、プラットフォーム依存しなくなる。なお、著者たちはここでデータの「所有」と言っているが、データはアクセス権の制御はできても、所有できるものではない(データは物件ではないので所有権の対象ではない)。正しさの保証や信頼は政府機関など機関からプラットフォームへ移ってきたが、Web3ではプロトコルへと移るとする。しかし、Web3での正しさの保証をプロトコルのみで語るのは一面的だろう。プロトコルは書かれたものの正しさしか保証しない。正しく書かれてるかの保証は別に求められる。また、プロトコルが実際に正しく実装されて運用されている、という開発者・運用者への信頼も別に必要なはずだ。


Web3に関わる7つのバズワードとして、NFT、メタバース、DeFi、GameFi、ソーシャルトークン(ファントークンやコミュニティへの参加権)、DeSci、ReFi(再生型経済に関わる資源を裏付けとするトークンを用いるプロジェクト。カーボンクレジットのKlima DAOなど)が挙げられ、簡潔に概要が書かれる。このうち、メタバースの記述はやや謎。VR業界由来のバーチャルリアリティと、ブロックチェーン業界由来のウォレットを使ったプラットフォーム依存しない仕組みのものがあるとされるが、リアルの再現であるデジタルツイン的発想が落ちている。またメタバースは単なる仮想空間ではなく、デジタルの価値がリアルの価値を上回る過程として理解すべきとあるが、なぜメタバースが「過程」なのか。メタバース上で経済活動が行われ、人々がメタバース上で過ごす時間が増えることを言いたいようだが、メタバースそのものは過程ではない。


インターネットは共通基盤、公共財であるから、そこで展開される活動は本来、競争的なものではなく、共創的なものでなければならない。Web3はこうした考えを背景としている。つまりWeb3はインフラを、コモンズを作るものだ(というより、そうした活動に親和性があるということだろう)。Web2.0はアプリケーションを開発してきたが、Web3はその下層であるプロトコルを開発する。プロトコルがアプリケーションに勝る、ファットプロトコルの時代がやってくる。なおこの辺りでは、httpやTCP/IPがWeb2.0企業に独占されているという非常に謎な記述がある。また、プロトコルを開発してきたのはコンソーシアムだ。なぜコンソーシアムではダメでWeb3、そしてDAOが必要なのだろうか?


Web3的なアプリケーションでは情報やコートがオープンであるため、開発工数が削減され、新しいものが生まれるスピードがWeb2.0に比べて早いという。UniswapをコピーしたSushiswapの例が挙げられる。しかしWeb3が盛り上がりだしたのはa16zを始め、VCが大量に金をばらまいてるからだ。2019年くらいからVCが大量に投資し始める以前は、クリプト系の企業はさほど盛り上がっていなかった。


最後の方では資本主義システムへの批判が書かれ、共産主義の雰囲気が漂う。株式会社を前提としたこれまでの資本主義からのカウンターとしてWeb3を理解すべきだという。しかしトークンの値上がり可能性による金銭的インセンティブで成り立ってるDAOを基盤にしている時点で、カウンターにはなりえない。もしカウンター(とは行かなくても、補完)を考えたいなら、協同組合を考えるべきだ。


Web3の考え方を中心に書かれているため、その基本的思想を知るにはよい一冊。この考えが実態に即して考えるとどこに乖離があって、そこから何が残ってくるかを冷静に考える対象としては参照できる。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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