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レベッカ・ヘンダーソン『資本主義の再構築』

よく練られている良書。気候変動や所得格差といった現代社会の大きな問題の解決に、民間企業をはじめとする資本主義のアクターが寄与していくために、資本主義がどう変わらなければならないかを論じている。事例は多く詳細で、やや冗長感と、事例としたいポイントからぶれてしまっている感がある。論旨ははっきりしているので、事例は適当に読み飛ばしても問題なかろう。原題からすると「資本主義の再構想」という感じで、再構築というにはやや遠いか。


資本主義の未来を論じる議論はおしなべて、新自由主義に対する反省から始まる。本書もしかり。出発点となる新自由主義的考えは、利益を最大化して株主価値を最大化することだけが企業経営者の義務だというものだ。しかし、利益最大化が社会全体に繁栄と自由ともたらすのは、市場が真の意味で自由で公正な場合だけである。市場が本来の機能を果たさず、自由で公正ではない状況では、株主価値の最大化だけが経営陣の義務だという考えは通用しない。そして現代においては、市場は実際に市場が本来の機能を果たしていない。それは三つの観点から捉えられる。(1)外部性が価格に適切に反映されていない。例えばアメリカの消費者は、石炭火力発電に対して1kwあたり5セントしか払っていない。だが石炭の燃焼や二酸化炭素の排出による健康コストを含めれば、13セント前後となる。差額の8セント分の外部コストは、正しく市場価格に反映されていない。(2)多くの人は、機会の自由を手にするのに必要なスキルを持っていない。社会の格差は拡大し固定化され、流動性が減っている。(3)企業は自社に有利な形でゲームのルールを書き換えられるため、市場は公正ではない。著作権保護期間を延長させたディズニー、気候変動対策を阻む化石燃料企業のロビー活動。さらには、2008年の世界金融危機の一因となった会計ルールの変更といった、一般には理解しにくい事例も挙げられる(p.29-36)。


こうした現在の資本主義市場の状況に対して、資本主義を再構築する5つのピースを著者は論じる。(1)共有価値の創造。環境保護を始めとする共有価値を掲げ、企業が共有価値を追求すること。(2)目的・存在意義(パーパス)により主導され、人間に尊厳と敬意を持つ企業を構築すること。(3)短期的な指標にだけ注目する資本調達(金融)システムを見直し、長期的な視野を金融システムにもたらすこと。(4)公共財を生み出す体制を他社と協力して構築すること。ナイキの「持続可能なアパレル連合」の例がある。(5)企業が政府に影響を与え、生成や教育など社会の仕組みを変えて政府を立て直すこと(p.43-57)。あとは章を追ってこれら5つの論点を展開していく。よって基本的には、ここまでの50ページほどで主要な議論は尽きている。


共有価値について著者が強調するのは、経済合理性だ。共有価値を創造することはコスト低減につながる。ユニリーバのサステナブルな紅茶生産は、ブランド価値を向上させて利益を増やした。ウォルマートの温室効果ガスの削減は、物流部門やエネルギーの効率化によって行われ、投資以上のコスト削減となった(p.64-81)。世界を救うこと、すなわち再生エネルギー、牛肉消費の削減、食品工場、サプライチェーンの改善による食品ロスの削減などには膨大な経済的機会があり、経済合理性がある(p.303f)。


最近の流行りともいえる目的主導型企業についても、経済合理性があるという。目的・存在意義を全社で受け入れることは、3つの重要な効果を生む。(1)目的がしっかり受け入れていれば、共有価値の創造を可能にするような社会の価値観や産業構造の変化を捉えやすくなる。(2)そうした変化に対応するための姿勢ができ、リスクを取りやすくなる。例えば1990年代のナイキはこうした変化への姿勢が無く、納品元での児童労働に対する世論の批判の高まりに対応できず、ブランドを毀損した。(3)真に目的志向の組織を作ることは、それによって公平な社会を築くための新たな仕事が創出されるため、それ自体が共有価値を生み出す行為である(p.108f, 115f)。典型的な目的主導型組織としては、トヨタ自動車が挙げられている。トヨタ自動車は1950年に会社が破綻の危機に瀕した労働争議をきっかけとして、地域への深いコミットメントを活用して新たな働き方に改革した。「人の尊重」を中核的価値として、GMとは違って現場の従業員に権限を持たせた点が評価される(p.127-130)。


短期志向の金融システムについては、長期志向の投資家を培うことと、そもそも投資家の権限を縮小することの二つのルートで考えられる。前者の方策としてはまず、長期的な影響を表す指標の開発が論じられる。短期志向の投資家に批判が集まるが、短期目標を達成できない企業は長期の業績でも振るわないことが実は明らかになっている。目的主導型の企業への投資をためらうのは、投資家の短期志向だけではなく、長期的なリターンへの影響が測れていないからともいえる。すると資本主義の再構築には、会計制度の見直しが必要となる。気候変動のコストや、企業文化の健全性などを会計に取り込む必要がある。ESG指標、GRIのサステナビリティ指標、サステナブル会計基準審議会SASBのESG基準はその試みとして挙げられる(p.153-155, 158-163)。ここで、ESG投資家の典型例として、日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の水野CFOの考え(アクティブなパッシブ運用)と、委託先の資産運用会社へのインセンティブの与え方が挙げられている。ESG運用の有効性を日本の投資家と企業に広めたと評価される'(p.166-173)。長期志向の投資家を確保するもう一つの方策は、顧客や従業員から資本を調達することだ。持株会などで従業員が資本に参加している例は多いが、従業員が経営に関する権限を保有している例はあまり多くない。世界最大の従業員所有型企業はスペインのバスク地方にあるモンドラゴン協同組合企業で、売上高132億ドル、従業員8万人以上を抱える(2018年)という。モンドラゴン協同組合では、一人一票方式により従業員である所有者が直接経営に参加し、バスク地方の格差の解消に寄与している(p.182-185)。


短期志向の金融を見直すもう一つのルートは、投資家の権限を弱めること。これは株主優先とは異なる企業観を採用することである。ベネフィット・コーポレーションはそうした企業観に向けた一つの試みとされる。では、すべての企業がベネフィット・コーポレーションになればいいのかというと、そうではない。(1)ベネフィット・コーポレーションでは、投資家にすべての権限が残る。投資家は、ベネフィット・コーポレーションのビジョンを破壊して従来型企業に逆戻りさせる取締役を選任することができる。ビジョンに共感し、破壊しないような投資家を引き付けられるかは、企業の能力にあまりに依存してしまっている。(2)世の中には信頼できない経営者もいるため、ベネフィット・コーポレーションはその隠れ蓑に使われる可能性がある。(p.186-189)。


気候変動や格差といった、現代社会の大きな問題は公共財の問題である。したがって、一企業が単独で解決することはできない。そこで企業間の協調が必要となる。すなわち、自主規制というわけだ。業界の自主的な協力が極めて上手くいった例として、19世紀末のシカゴの初の大気汚染対策がある。万博の開催を控えた1892年1月に、シカゴの有力な実業家たちは「煙害防止協会」を結成し、訴訟と罰金によって煤煙をより発生しない石炭への切り替えが行われた(p.206-210)。他に分量多く論じられるのは、パーム油のサステナブルな生産をめぐるユニリーバの取り組み。ユニリーバは2010年、消費者フォーラムと協働して、パーム油の買い手企業や生産者との合意を取りつけて自主規制を達成した。業界横断的な協力が得られてサステナブルなパーム油の活用が行われたが、森林伐採率の削減という根本的な問題は解決できておらず苦戦している。その理由は三つ。(1)生産量の40%近くを占める小規模農家に対するインセンティブが弱い。(2)インドネシア、マレーシアの経済発展を目的とする法律や政治環境との対立。(3)サステナブルなパーム油にほとんど関心を示さない、インド企業、中国企業の買い手の台頭。このなかでもっとも大きな障壁であり、成功のカギとなるのは、公的部門との連携、政府による支援だという(p.212-223)。


というわけで資本主義社会で大きな問題を解決していくためには、一企業の努力だけでも、他社と強調した自主規制でも十分ではなく、民間企業が国家・政府を動かさなければならない。しかし政府が社会問題を解決できるという信頼は、現在大きく低下している。著者はこれは、新自由主義的なキャンペーンの結果だという。社会問題の解決に対する政府への信頼の低下は、50年間にわたる産業界からの計画的なキャンペーンによるものだと。第二次世界大戦後、産業界はフォン・ミーゼス、ハイエク、そしてフリードマンらの新自由主義の思想を広めてきた。政府は公正で持続的な社会の構築に役割を果たせないのではなく、そうした認識は意図的に作られたものなのだ(p.247-249)。この捉え方には多く異論があろう。


ついでアセモグルとロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』に依拠して、自由で民主主義的な政府(包摂的な体制)においてこそ経済成長は実現されるのだと長めと論じる(p.250-259)。だが、権威主義的な政府(収奪的な体制)での驚異的な経済発展、例えばシンガポールや中国に言及しないので、ほとんど説得力はない。ただし、本書の議論は企業など民間セクターから政府を変える話をする以上、仕方のない論の運びだとも言える。ただ資本主義的自由市場の社会だけを本書は対象としているのだから、そもそも不要な議論だろう。逆に言えば、本書の議論は自由市場の社会にしか通用しない。


ともあれ、包摂的な社会を築くために産業界が役割を果たした例は、第一次・第二次世界大戦後のドイツ(企業と労働者の協力体制の構築)、19世紀末のデンマーク(第二次シュレースヴィヒ戦争後に弱体化した国家に変わる社会保障インフラの確保)、1960年代のモーリシャス(独立後に政権を取った労働党と協力して経済発展を担ったサトウキビ農園主たち)が挙げられる。モーリシャスの例などは意外で、なかなか面白い。これらの例では先見性のある産業界リーダーが主導している(p.270-291)。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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