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宮台真司、野田智義『経営リーダーのための社会システム論』

社会の現状と対策についてのきわめて優れた一冊。ビジネススクールでの講義のため、題名は「経営リーダーのための」とある。しかし経営リーダー層に限らず、現在の社会がどうなっていて、なぜそうなったか、どうすればいいのかを考えるに適する一冊。とても分かりやすく引き込まれるものがある。それゆえ、この分かりやすい印象には逆に警戒すべきでもある。講義録なので論拠の細かな提示や、より詳細な議論は省かれている。


著者たちの出発点となる問題意識は、現在の社会は「底が抜けてしまっている」ということ。経済としては回っていて、安心・快適・便利な生活を送れているように思われる。しかし何かが社会から失われているように思われる。現在の社会では人々は不安を抱き、ストレスの多い生活を送っているように思われる。著者たちが問題だと思っているのは、どうやら人々のつながり、人間関係、仲間意識といったようなものの希薄化のようだ。


社会システムを全体の分析の枠組みとしている。社会システムという概念は、冒頭である地域がモノカルチャー経済として市場経済システムに組み込まれていく様で鮮やかに描かれる。この話からは、空間的帰結と時間的帰結がある。空間的帰結とは、自分たちがコントロールできない、自分たちの営みより大きなシステムに組み込まれること。時間的帰結とは、いったん組み込まれると元には戻れないということ。そしてこれらの帰結は、往々にして事前には分からない、意図せざる帰結となる。また、この帰結はシステムの正常な帰結であるから、悪者はどこにもいない(p.40)。すなわち悪者として指摘できる単一の原因を見つけて、それを排除すればよいのではない。システムの正常な動きによる結果だからこそ、対処は難しい。


例えば孤独死に代表されるような現在の社会の人間関係の希薄化は、システムが正常に働くことによって生み出される問題だ。ここでシステムというのは、市場や行政のこととして捉えられる。日本人はシステムに過剰に依存するようになってきている(p.70f)。こうしたシステムの作動するシステム世界と対比されるのは、生活世界である。生活世界では人々は顔見知りで、共同体意識(仲間意識)で成り立っており、慣習やしきたりを重視し、善意と内発性が求められる。一方、システム世界は匿名的なコミュニケーションが行われ、マニュアルに従って役割を演じることが重視され、損得勘定が求められる(p.83-86)。


そもそも進化生物的に考えれば、人は社会的動物であり、孤独に耐えられない存在だ。生活世界が次々とシステム世界に置き換えられていったのが現在の社会だ。それによって、孤独にさいなまれる人たちが増えた。この帰結はシステム世界の全域化であり、汎システム化の産物である(p.104f)。特に日本はシステム世界の全域化の傾向が著しい。その理由は、二つ挙げられる。(1)日本には、共同体従属規範(郷に入っては郷に従え)はあれど、共同体存在規範(共同体の衰退を何としても避けなければならない)はない。(2)中国やユダヤの社会のような血縁主義とは違って、日本は地縁主義であること。地縁共同体は一緒にいることを前提とするので、高い流動性をもたらすシステム世界の拡張に対して脆弱である(p.125f)。


生活世界を失った、つまり共同体意識や仲間意識を失った個人はどうなるか。ここに著者たちは、社会に不満を持つ無差別殺人事件の話を持ち出す(p.95)。著者たちは、無差別殺人事件が増えたと言っているわけではない(実際、犯罪統計的には減っている)。しかし、それは現代の特徴であると考えられるようにも思われるが、その根拠はどこにあるのだろうか。印象操作の枠を出るだろうか。


ともあれ、そうした無差別殺人事件を起こすような「感情の壊れた人」、人格障害のような感情の動きが普通ではない人物が増えた背景として以下の3点が挙げられている。(1)子供たちが仲間を作るような外遊びが失われた環境。もともと、子供たちは仲間との(いくらか反社会的だったり危険だったりする)遊びのなかで共通感覚を養っていく。また、家庭環境が違う子供たちが混ざって遊ぶ環境が消えた。(2)幼少期・青年期における、親ではない大人との「ナナメ」の関係が希薄になった。それにより、親以外の多様な生き方や価値観に触れる機会が消失した。(3)派遣労働のような、過剰に流動的な環境が増えた。自分をどうでもよい存在と感じ尊厳を失った人間は、他者のことをも誰でもよい存在とみなす(p.99-103)。


何かの役割における他人ではなく、人間そのものに向き合う典型的な場面と考えられる性愛関係(恋愛関係)においても、システム世界のような発想が支配しているという。例えば、マッチングアプリは性愛を属性主義化し、相手を置き換え可能としている。アプリで人々は相手の属性だけを見て、容易に次にスワイプしていく。著者は全人格的な性愛関係を回復させるようなアーキテクチャの実装ができるはずとして、アプリ開発者に働きかけたりしたそうだ(p.144-147)。ただ、全人格的な性愛関係のほうを見たいなら、むしろ婚活アプリを見るべきだろう。婚活アプリと単なるマッチングアプリは参加者の本気度が違う。また、女性が男性を選ぶ視点が1980年代は「高身長・高学歴・高収入」のような属性主義、91年のバブル崩壊後は一緒にいて楽しいことを重視する全人格主義、さらに96年以降は再び属性主義と変化しているという(p.154f)。


こうした社会の変化は、3段階の「郊外化」としてまとめられる。一段階目は1960年代の団地化によって地域が空洞化し、家族への内閉化が起こった変化だ。この空洞化した地域は、専業主婦が一般化することによって埋め合わされた。二段階目は1980年代のコンビニ化によって家族が空洞化した変化だ。この家族の空洞化は、市場化と行政化というシステム化によって埋め合わされた。こうしてまず二段階の郊外化を経た現在の日本社会では、人々はもはや地域にも家族にも属さない浮遊した匿名な存在になっている。地域や家族の空洞を埋め合わせているのが市場や行政といったシステムであるので、経済が回らないと社会が機能しなくなる(p.73-79)。そして人間関係の空洞化が進む、郊外化の三段階目がインターネット化という変化だ。インターネット上の人間関係では、付き合いたい時だけ付き合うという、つまみ食い的な希薄化した人間関係となる。ネットコミュニティでは互いに助け合うような、全人格的な人間関係とならない。インターネット化は1990年代後半から始まったもので、システム世界がプライベート領域さえ侵食しつつあることを意味する(p.149-152)。インターネット化まで来ると、もはや「郊外化」のような空間的比喩は有効ではない。シンプルに「疎外」とするとか、何か言葉は変えた方がいいだろう。


さてこうした現在の社会の問題に対して、共同体意識や仲間意識を復活させればいいのだろうか。そうした単純な保守主義や伝統への回帰では解決できないことは、これがシステム世界の全域化という正常な動作の帰結であることから明らかだろう。では共同体に代わるものを持ってくるのだろうか。まず、共同体とそれに類するものを区別しておく。共同体は全人格的なかかわりがあり、所属が生まれに基づくという非人為性がある。(ただし、地域共同体は後者は満たしていないと思われる。引っ越したり婚姻関係などで人為的に属する)。共同体と区別されるものとして、アソシエーション(組織集団)がある。アソシエーションは、人格の一部だけでかかわる部分人格性と、自覚的にメンバーとなることを選ぶ人為性をもつ。一方、カール・マルクスは、全人格的で人為的なものを構想した。労働組合がそれで、システム世界を生活世界に似せる試みだ。ただ、理念の現実化は難しい。シェアハウスは逆に生活世界をシステム世界に似せる試みだが、誰もを歓迎できる集団にはならず挫折している(p.130-132)。


本書の一つの結論として、システム世界が全域化して、近代社会の統治が困難になってきた現在に対処する方法を4つ考ええている。(1)教育を充実させて人々を倫理的な主体に育てる方法。これはシステム世界の全域化を制限して、生活世界を保全しようとするヨーロッパ的アプローチ。(2)法制度とテクノロジーを強化して監視と賞罰を徹底する方法。現代中国の社会システムは、このアプローチであると評価できる側面がある。(3)アーキテクチャを使って快・不快を通じて人々を制御する方法。システム世界の全域化による弊害は、さらなるシステム世界の全域化で対処するということ。発生する問題に対して、警察や行政というシステムで解決する。システム化(マクドナルド化)による人々の疎外感は、祝祭体験の提供(ディズニーランド化)で埋め合わせるもので、アメリカ的アプローチ。アメリカはキリスト教原理主義を背景としているので、システム世界の全域化による人間の精神的不安定に比較的耐性があることに注意。(4)多幸感をもたらす薬(マリファナやオピオイド)やVR/ARによる仮想現実といったテクノロジーを用いて、システム世界の全域化がもたらす現実の不満や不安を解消させる。(3)の発展形ともみなせる。4つの方法の中では最後のものがもっともコストが低い。ニック・ランドやピーター・ティールの加速主義、新反動主義は(4)の方向と評価できる(p.170-178, 201f, 208-212)。


著者たちの提示する対処法は、(1)のヴァリアントだろう。ハーバーマス・ルーマン論争を引いて、生活世界なるものがシステム世界と別に自立して存在するものではないと捉える。生活世界もシステム世界も、コミュニケーションのシステムがもたらす表現に過ぎない。この論争の後のハーバーマスによれば、生活世界は自立するものではないから、私たちは生活世界を生きることはできない。しかしシステム世界とともに、生活世界のあるべきビジョンを描き、それに沿って生きることはできると論じる。よって提示されるのは、テクノロジーを積極的に利用しながら、国家規模ではなく、共感可能なミクロな共同体を人工的に構築し、そこに個人を包摂することで人間関係を再構築するというものだ(p.249-251)。


そもそもルソーやアダム・スミスに戻れば、近代社会が機能するための条件は、個人が自律的に判断して行動するという主体性と、共同体の他のメンバーに対する共感をもつという感情的能力の二つだった。後者の条件、ある人が共感を持てる他人の範囲はそんなに広くない。ルソーは2万人程度の規模でしか感情的能力は発揮できないと考えた。だが実際は、国民国家という大きな形で近代社会は構成された。本来は不可能な、国民国家サイズでの共感を、国民国家は国家間戦争という形で醸成してきた。だが、戦争が許容されなくなった現在では、システム世界の全域化によって感情的能力が失われつつあり、社会の統治は難しくなっている(p.159-167)。したがって再興される共同体は、ルソー的なサイズに戻るのであり、ルソーが理想とした直接民主制の本義に戻る(p.274)。


こうして出てくるのは共同体自治である。共同体を構築し仲間意識を養うには、自分たちのことは自分たちで何とかするという共同体自治を行うのがよい。その糸口は、食とエネルギーにある。共同体自治のためにはテクノロジーを積極的に活用する(特にエネルギー)(p.251-254)。そうした共同体自治のリーダーシップに求められるのは、トップダウンのリーダーシップではなく、自分がみんなにつながり、みんなをみんなにつなげ、みんなで意見を出してもらうようにすることだ。合意プロセスの中に個人を参加させ、熟議を通して合意形成を図ること。住民たちのコミュニケーションと場をデザインする縁の下の力持ちの役割(サンスティーンのいう「二階の卓越主義」)を担う(p.265-268)。


というわけで、共同体自治(明確に書いてないが、おそらく地域共同体)を新たに醸成していくことによって、システム世界の全域化に抗っていくという話となる。著者たちは自分たちの主張が、結局のところ、『ALWAYS 三丁目の夕日』ばりの昭和ノスタルジーかもしれないという疑念がある(p.293)と書くが、私の印象はまさにその通りだ。本書には、著者たちが子供時代にともに遊んだことによって培われた仲間意識の話がいくども出てくる。そうしたノスタルジックに戻れる記憶を持っているからこそ、それを別の仕方で復活させようと考えることができる。私などはそうした憧憬のなかで眺める仲間意識を持たず、それが無いところからどう出発するかが発想の起点なので、あまり納得できるものではない。


だからといって、監視・管理の強化といったシステム世界のさらなる強化や、果ては加速主義に与したいわけでもない。小さなサイズのグループを作っていくという点では著者たちのアプローチに賛同する。問題はそれが全人格的な関わり、ウェットな関わりを求める共同体だということだ。仲間意識は、常に排除の意識を伴う。誰かを仲間外れにするからこそ、仲間意識は成立する。本書の記述では、共同体における熟議を乱す人がいる場合は、ファシリテーターが影響が広がらないように抑え込むことが必要とされる。退出させるのでなく、自発的に退出してもらうのだと。全員を巻き込むことは理想だが、現実的でなく、関心を持つ人は1割くらい、それが2割に広がれば大成功だと(p.275f)。それは、共同体からこうした人々を切り捨てるということだ。これが全人格的な関わりを求める地域共同体のようなものであると、文字通り村八分を意味する。だから、全人格的な関わりを求めないような場、部分的でしかない関りを許容する、複数の場が必要となるはずだ。それは人間関係の希薄化したネットコミュニティと、誰かを排除し続けるウェットな共同体の間にある人間関係である。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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