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保坂修司『乞食とイスラーム』

当時の史料はしばしば、ハラーフィーシュや乞食たちが健康な肉体をもち、多くはみずからの意志で乞食になっている点を強調している。このような記述は、イスラームの乞食が、日本やヨーロッパに見られる身分制度にはあてはまらない、より自由な、よりやわらかな存在であることを証明してくれるだろう。乞食になることはだれにでもできるし、乞食の世界からはなれることも、だれにでも可能なのである。(p.170)
1994年刊。乞食、物乞いをする人を中心としてイスラム社会を描く一冊。歴史エッセイに近く、あまり学問的・体系的な感じではない。類型化や時系列の整理はあるものの、はっきりとはしていない。そのため私にはやや読みにくかった。


ポイントは乞食といっても、イスラム社会ではほぼ一つの職業のように機能していたこと。単純に職に就けない人が生活のために行っているという、他の社会でもよく見られる側面はある。ただそれ以上に、効率的に物乞いができる場所を求めたり、いかに憐憫の情を誘って物乞いを成功させるかなど、戦略的な側面もみられる。そしてそれらを組織しているような側面もある。


現代においても、おそらくは乞食のネットワークを組織している裏社会の団体がいるように推察されている(p.19)。それぞれの乞食が同じ場所に重複しないように配置したり、身体障碍を装うような手はずを整えたり、憐憫の情を増すために子供まで用意している。その結果、乞食の収入はクウェートでもスーダンでも熟練労働者や大卒男子の初任給を軽く上回っている(p.20-25)。


イスラム社会で特徴的なのは、他の社会よりも女性の乞食が多いことだ。1991年にスーダンの首都ハルトゥームで実施された調査によれば、5歳から17歳の子供の乞食では女性は10%しかいない。しかし成人の乞食となると女性が30%を占める。クウェート、サウジアラビアなど裕福な湾岸諸国の場合には、調査はないが男性よりもむしろ女性の乞食の方が目立つ。中東諸国では女性の働き口が少ないので、死別や離婚した女性には、乞食が有力な選択肢の一つとなる(p.51-54)。


歴史をたどれば、もちろんイスラム社会においても乞食は古くから存在する。時の権力者は乞食を撲滅、排除しようとする動きを見せるものの、根絶はされない。ある種の乞食はバヌー・サーサーン(サーサーンの子孫)の一種と呼ばれる。このサーサーンはササン朝ペルシャの名のもとになった、建国王の祖父の名前だ。すなわち、乞食のような被差別民が伝説的で歴史的な名家に結びついている。これは中世日本でも芸能民と天皇の結びつきなどに見られる(貴種流離譚)。アラブ・イスラームの名家ではなく、ササン朝に結びついているのは、乞食など被差別民が反イスラム的な、イスラムによって征服される以前にあった文化風習を代表するものだからだろう(p.112-123)。


また、14世紀のイブン・バトゥータの記録にも現れる、物乞いで生計を立てるハラーフィーシュと呼ばれる人たちがいる。彼らは組織されていた。社会の役に立たないことを誇りにしていたバヌー・サーサーンとは違って、ときどき社会の役に立っている。1295年にはペストの流行したカイロで、死体の埋葬を行っている(p.142-150)。ほかにも乞食のような貧しい身なりをした人としては、12世紀頃から教団として組織されたスーフィー神秘主義者たちがいる(p.157f)。

もともと『クルアーン』には乞食に金をめぐむものは天国に入り、乞食を邪険に扱うものは地獄に落ちるとある。乞食に恵むことはその人に渡しているというより、その人を経由して神に渡していることになる。乞食は、人々が天国に行くために必要な税金を、神に代わって徴収しているとも言える。それがザカート、サダカ、ワクフ(所有権を放棄して他者に信託する形での寄進)といった制度となる(p.197-204)。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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