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ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー、キャス・サンスティーン『NOISE 下』

多くの状況で、ノイズはあってはならない恥ずべきものである。現状ではみなノイズとともに生きているが、本来はそうあるべきではない。無制限の裁量の余地を与えたり、どうとでも解釈できる規範で済ましたりすることをやめ、ルールやそれに類する方法に切り替えることが望ましい。 シンプルな解決こそが正しい解決だと私たちは感じている。 ルールの導入が現実的でない場合や好ましくない場合であっても、ノイズを減らすために本書で掲げた対策のいずれかは講じるべきだ。(p.233)

下巻。上巻では専門家たちの判断における、好ましくない判断結果の偏差をシステムノイズと呼んだ。システムノイズはレベルノイズとパターンノイズに分解され、さらにパターンノイズから機会ノイズに分解された。ここでパターンノイズは安定したパターンノイズと、機会ノイズのような一過性のノイズに分解される。つまり、行動は判断者の性格と、判断の状況の両方に左右される(p.13f,19)。


これらのノイズの比率はもちろんどういう判断であるかに応じて変わる。ただおおむね、専門家の判断結果の誤差においてバイアスとシステムノイズは等しい。システムノイズの二乗(分散を考えるので)のうち、レベルノイズの二乗は37%。レベルノイズのうちのパターンノイズの割合は書かれていない。パターンノイズの二乗のうち、機会ノイズは35%であるという(p.313)。


下巻はどうしたらノイズを減らせるかという論点をめぐる。ノイズ対策の前に、バイアス対策はどうか。判断からバイアスを除去する方法には、事後的な方法と事前的な方法がある。事後的な方法では、判断された結果から一定の値を割り引いて修正する。一方、事前的な方法の代表例はナッジ。ナッジによってバイアスの影響を減らしたり、注意を促したりする。しかしこれらの方法は、どのようなバイアスがあるかがあらかじめ分かっていないとうまく機能しない。そこで、意思決定プロセスにオブザーバーを設けて、リアルタイムでバイアスを見つけるアプローチが有効である。このオブザーバーが役割を効果的に果たすには、一定の訓練と、チェックリストに代表されるツールが必要だ(p.62-70)。このオブザーバーは、例えば企業経営における社外取締役や監査役を考えれば分かりやすいだろう。


ノイズ対策もバイアス対策と本質的には変わらないように思われる。ただバイアスが系統的な誤差であるのに対して、ノイズは様々な原因により様々な誤差を生む。したがってノイズの個々の原因に対して対策を設けるのは適切ではない。そこで著者たちが主張するのが、判断ハイジーンである。ハイジーンと手洗い・うがいなどの衛生管理のこと。手洗いはどの黴菌に効くかわからないが、全般的に有効である。同様に判断ハイジーンも、どのノイズに有効かどうかは分からないが、全般的にノイズを減らすことができるテクニックである(p.71, 181)。


判断ハイジーンの原則は6つだ(p.252-257)。(1)判断の目標は正確性であり、個性の発露ではない。正確性の達成のためには、究極的にはアルゴリズムやルールを用いる。用いることができないなら、判断ハイジーンで人間の判断を改善する。(2)因果論的思考ではなく、類似ケースを考えて統計的に考えること。(3)判断を構造化し、独立したタスクに分解すること。それにより「過剰な一貫性」と呼ばれる心理的バイアスを抑える。(4)判断者に情報を与える順序とタイミングを管理し、早い段階で直感、「内なるシグナル」を働かせないこと。(5)複数の判断者による独立した判断を統合し、カスケード効果や集団の二極化現象を避けること。(6)相対的な判断、相対的な尺度を使うこと。


あとはこれらの原則について、事例豊富に語られる。アルゴリズムやルールで機械的判断ができれば、ノイズのない「官僚的正義」(法学者のジェリー・マショーの言葉)が達成される(p.228f)。また、ノイズは因果論的思考では見いだせず統計的思考を必要とする点は上巻でおもに語られた。因果論的思考こそ、バイアスに比べてノイズが問題にされない原因である(p.32-36)。また、統計的に考えることで別の可能性に思考が開かれていることこそ、判断をノイズから改善する重要な態度である。これは心理学者ジョナサン・バロンの開発した「積極的に開かれた思考態度」尺度で測れる(p.58, 103f)。


ノイズを減らす方法として、問題の構造化と判断のガイドラインは有効だ。例えば新生児の健康状態をスコアリングするアプガースコア。判断は細かい要素に分解されていて、それぞれはすぐに評価できるため、高度な訓練なく評価者間の不一致が減らせる。予測に重要な因子への集中や、判断の単純化、機械的な集計はノイズ削減効果が大きい。溶連菌性咽頭炎のセンタースコアや、乳癌のBI-RADSなども同様の効果を生んでいる(p.122-125)。


指紋分析官の鑑定結果の分析から、事件の概要や他の分析官の鑑定結果を事前に知ってしまうと判断が変わるという、確証バイアスのリスクがあることが示されている。そこで、判断時に与える情報とタイミングを厳格に管理するという判断ハイジーン手順が考えられる。情報も機会ノイズの発生要因の一つとなる(p.89-91)。しかしこれは情報提示の仕方によって、そちらの方向に系統的に判断が引きずられるのだから、ノイズの要因というよりは、バイアスの要因と言ったほうが良いように思われる。


企業における人事評価にもあまりにもノイズが大きい。人事評価を相対的なランキングとすることによってノイズの削減ができる。ただ強制的ランキング(上位20%、中位60%、下位20%に振り分けるような、割合を固定したランキング)は、相対的な実力や実績が問題になる場合のみ有効であり、その他の場合(もともと優秀な人々が集まっているチームなど)は有効ではない。また、固定された割合がそのチームの能力の分布と等しい保証はどこにもない。対策は準拠枠としての評価尺度の統一と、評価者のトレーニングだ(p.136-147)。


同様に、採用面接にはあまりにもノイズが多い。グーグルの人材採用の取り組みは、ノイズ削減の手法の組み合わせとして評価される。まず面接官がそれぞれ採点したあとで初めて、面接官どうしで意見交換する。面接は構造化する。評価項目を分解し、それぞれの項目の評価が終わってから面接を次の項目の質問に進める。総合評価は一番最後に行う(p.157-163)。


最後に、ノイズ削減に対する批判を7つに取り上げて応える(p.187-189)。その7つの批判とは、(1)ノイズ削減はかかる費用、時間、労力といったコストに見合わないという批判。(2)ノイズ削減の手法の中には、ノイズを減らしても別のエラーを招きかねないものがある。(3)人間が尊厳をもって扱われると感じるためには、多少のノイズは容認されなければならない。(4)ノイズのないシステムは硬直したシステムであり、新しい予想外の方向へ進む状況に対応できなくなる。(5)ノイズ削減の手法の中には、裏をかくような行動を促しかねないものがある。(6)ノイズの多いプロセスは結果が予測できないので、好ましい抑止力になり得る。(7)ノイズを削減する方法の中には、人間の創造性を抑圧し意欲を削ぐものがある。


しかし批判に対する応答は、たしかにそうした批判が当てはまってしまうノイズ削減方法もあるが、すべてがそうではないのだから、そうではない方法を使えばよいといった論調と感じられる。それはあまり説得力を感じない。論点はおそらく、ノイズ削減は判断の硬直性や保守性を招くし、もしバイアスがあるならバイアスが強調される結果になるが、そうした批判を考えてもなお、分散の大きい判断によって現状もたらされている不公平な現状は緩和する必要がある、といったものだろう。バイアスと違って分散は気付かれもしていないのだから。豊富な事例からその実態を訴え、対策まで講じており、しかもとても読みやすい本としてとても興味深い一冊だ。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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