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宮本常一『忘れられた日本人』

1939年(昭和14年)から日本各地を回り、主に農村の習俗の聞き取りを行った著者が、西日本を中心にその過程をつづったもの。この当時の高齢者に往年のことを聞いているので、記述されている習俗の時代は明治期前後に当たる。明治以降の急速な近代化によって失われつつあった習俗、それでも続いている習俗について、対話体を交え具体的に記述している。その分、抽象化については物足りなく感じるが、この本の役目ではなかろう。


領主、郷士、百姓の身分の隔てなく、みんなが村の事柄について平等に話し合う意思決定の仕組みである寄合(p.19-21)。寄合では各人が納得するまで自由に発言を続けるため、非常に長い時間がかかる。だが持続する人間関係の中では禍根を残さない仕組みである。民謡とは、見通しのきかない中世の山道で、自分がどこにいてどこまで行ったかを他の人に知らせておく役割を持つ(p.23-26)。


寄合は、単調で相互監視の農作業のストレス解消をする手段でもあった。上下の差なく言いたいことを言える意思決定の場は、非日常の解法空間でもあった。祭りはそのような他の例だ。祭りのばか騒ぎと婚外交渉も、もちろんそうした場である。男女の性交渉は現在よりもはるかにルーズである(p.39-41)。また同年代・同性の集まりもよく見られる。こうした集まりの中では家柄を問わないことが重要。その代わりに年齢階梯制が取られる。この年齢階梯性は西日本に顕著で、岩手などでは若手寄り合いすら見られなくなるのが興味深い。それは西日本では老人は隠居するが、東日本では年を取っても家の実験を握っている傾向があることと関連する(p.52-58)。


行方不明になった子供を探す話も興味深い。昔の村落共同体はそれぞれの人の生活様式をみんな知っているため、行方不明の子探しは誰も制御せずとも分担して行われる(p.103)。この人ならここへ探しに行くだろう、だから自分はあちらへ、といった感じでコミュニケーションなしに相互の調整がなされている。村に来てまだ日の浅い者はこうした動きには参加できず、役に立たない者となる。


田植えの休憩時間における女性たちの世間話、というか猥談など、性風俗に関する話題も分け隔てなく取り上げているのも本書の特徴だろう。こうした他愛もない話は記録されなければ消えて行ってしまうが、その土地の文化を形作るものでもある。


着目点として他に面白いのは、村と外部のつながりである。世間師についての記述が長くある。世間師はそれぞれの村の生まれであって、自発的に外に旅をして見聞を広めてきた人たち。具体的な人物名を挙げて、その人の来歴を追っている。こうした世間師は、村に新しい情報をもたらし、村が時代についていくのを助けた。こうした人々の多くは文字を知らなかったが、なかには文字を知る人々もいた。知識を文字で外部から得て、村を愛し村の発展に尽くした島根県の人物の話がある。農業技術を伝え、村の生産性を上げていく。こうした人々は、新しい知識を得て村の伝承を変えていこうとしている。それ以前の人々は、伝承は伝承、新しい実線は実践と区別していた。このような進歩的な立場は、明治20年生まれを境にするという(p.281)。


もし取り上げられている地域に馴染みにがあれば、特に面白みを持って読めるだろう。この本の話が採集されたおよそ70年前にあっても、こうした人々はすでに忘れられた人々だったのだ。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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