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デイヴィッド・ウィルソン『社会はどう進化するのか』

私たちは、進化における主要な移行の最新の事例なのである。人類を他の霊長類から分かつほぼすべての能力は、グループ間選択によって進化した協調形態として説明できる。人間における協調の進化は、グループ内選択の破壊的な力を抑える能力に大きく依拠している。[...]現時点での最善の知識に基づいて言えば、多細胞生物ががん細胞を抑制する手段を進化させたのと同様、私たちの遠い祖先はチームワークが生存と繁殖のための第一の手段になるべく、弱い者いじめなどの、グループ内の利己的で破壊的な行動を抑制する能力を進化させたのである。(p.125f)

進化学の観点から社会性を論じる一冊。こうした分野は進化社会学に属する。社会に進化の観点を取り入れることは、過去には社会ダーウィニズム(本書は社会進化論と訳している)の名で行われ、悪評が広がった。著者は、そうした過去のしがらみからは離れて、進化論が進化学として確固たる地位を占めた今だからこそ、社会の進化を問うべきだとする。すなわち本書の課題は、方策policy(本書では政策と訳されている)立案を生物学の一分野としてみること。方策によりすべきとされる行動が、進化に深く依拠したものとすることだ(p.73f)。


人間は生物なのだから、人間が構成する社会的営みも進化の観点から検討されるべきだ。それは例えば、公衆衛生にかかわる人間の社会行動の在り方が、感染疫学を参考にすべきであるのと同様だ。生物学に基づいて方策を決めるべき簡単な例が3つ挙げられる。現代における近視の流行、過度な清潔さと免疫系の発達、子供の発達にあった学習順序(p.101f)。こうした例は、もともと生体システムができている仕組みに応じて、方策を検討すべき(だがあまり実際は検討されていない)分かりやすい事例だ。


本書はまずは進化社会学に対する社会ダーウィニズムの汚名を晴らすべく、社会ダーウィニズムの検討を行う。社会ダーウィニズムという言葉は、1944年に歴史家のリチャード・ホフスタッターの著書によって広められるまで、ほとんど使われていない。つまり優生学的な政策のような社会ダーウィニズムに結びつけられている悪事の多くが発生した時期に、社会ダーウィニズムという言葉はめったに使われていない。社会ダーウィニズムという言葉は論敵を論難するために使われる言葉であり、そう呼ばれた人たちが自分で自分を社会ダーウィニズムと称したことはないのである(p.29-31, 48)。


そもそもヒトラーがダーウィンから影響を受けたとも言えない。ダーウィンのドイツ人同僚であるヘッケルには反ユダヤ思想はなく、ヘッケルからヒトラーが影響を受けたとする考えは支持できない。そもそもヒトラーは人類が類人猿から変化したものだという考えを否定している(p.42-45)。社会ダーウィニズムという言葉は、社会学者にとって生物学に立ち入ってはならないこと、社会学は生物学に還元されない独自の学問領域だということを示すために付けられたものだ。それはあたかも、森に立ち入るべきでないということを、森には妖怪や幽霊がいるとして諭すようなものである。進化学は生物学の内部で大きな進歩を遂げたが、実践的応用への道は閉ざされてきた。いまや進化学を肯定的に活用すべき時なのだ(p.50f)。


では進化学を活かすとはどういうことか。本書のメインになるのは動物行動学の立役者ニコ・ティンバーゲンの、進化を理解するための4つの問いだ(p.54f)。これは進化の研究者にとって最も重要な道具だとされる。(1)生物のある特徴の機能は何か。(2)その特徴はいかに進化したか(系統発生)。(3)他の身体器官と合わせて、どのようなメカニズムで機能を実現するか。(4)その特徴はいかに発達するか(個体発生)。これら4つの観点から現象に対して問いを立てることが、進化学の視点を活かす重要なポイントとされる。


個人的に本書の一番のハイライトは、マルチレベル選択理論だった。これは著者自身がその主張者として知られている。るマルチレベル選択理論に基づいて、善や道徳性が説明される。グループ内では利己的な個体が利他的な個体に勝るが、グループ間では利他的な個体からなるグループが利己的なグループに勝る。このことは階層の各段階で成立する。そのためには、高次の選択圧力は低次のものより上回らなければならない(p.108-110)。これはあらゆる階層で考えられる。グループ間選択の圧力がグループ内選択の圧力に勝ると、私たちが善に結びつけている特徴、すなわち協調性が選好される。まれに、グループ内選択の圧力を大幅に削減し、グループ間選択をその生物のほとんどの特徴を生み出す進化的力にするメカニズムが進化することがある。すると、これらの非常に協調的なグループは、それ自体が高次レベルの組織体へと変容としていく(p.122, 240f)。こうして高次階層のグループが、独自の個体として機能する。すなわち低層から考えれば、細胞、器官、個体、集団、国家、地球、宇宙と。ある実体が有機体として分類されるには、低次の構成要素を高度に統制したレベルが存在しているかどうかによる。したがって、人間によって構成されるスーパーオーガニズム、国家や地球単位のグループを考えることは自然である(p.302f)。


ウィリアム・ミューアたちによる1990年代のニワトリ実験が示唆的である。より卵を産みやすい雌鶏を繁殖させたいとする。産卵率の高い雌鶏個体だけを選んて繁殖させていけばいいように思われる。だがそうすると、互いに攻撃的な個体のみになり産卵率は落ちてしまった。逆に、産卵率が全体として高い雌鶏のグループを繁殖させていくと、産卵率は1.6倍にもなった。すなわちグループ内に選択圧を設定して優位な個体だけを集めても、グループとしては優位にはならない。グループ間に選択圧を設定してグループを選別すれば、優位なグループが生まれる。この実験が示すのは、有能な個体のみを選択していつでも有能な社会は生み出されないということだ。ゴルトンの優生学は成り立たない(p.117-120, 199f)。このことは、あらゆる組織体を通じて深いインパクトがあると思う。


グループで協調行動を行う、すなわち社会性がある動物の最たるものである人類は、マルチレベル選択理論の典型例である。人類にはチームレベルでの選択圧力が数千年に渡って作用し、人類はチームワークを可能にするように適応しているのである。ちなみにこれにより、人類の行動は少人数のグループを中心として分析されるべきである。まず人類を観察するには個人ではなく、まず小グループを見るべきなのだ。グループの存在は、個人の幸福のためにも、大規模な社会で効率的に行動するためにも必要である(p.155)。


ここまでが前半の議論を占める。後半は、こうした進化学の枠組みに基づいて、実際の人間の社会的活動を分析する。そしてどのようにすれば社会的活動や組織がうまくいくのかを論じていく。しかし、この後半部分は私には期待外れだった。私が予期していたのは、社会的活動に関する進化学的な事実に基づいて、他の階層において組織がうまく機能する原則が提示されることだった。例えば、個体発生に関する見解から幼児の教育過程が導き出されるような。しかし後半では、すでに進化学とは別の観点、組織社会学的な観点から提起されている原則について、それらを進化学の観点、特に先に上げたティンバーゲンの4つの観点から検討することだ。したがってここからはあまり進化学的事実は出てこない。私としては動物の社会的行動についてもっと読みたかった。


グループ内の調整がうまくいき、協調行動が成立する原則として、8つの中核設計原理(Core Design Principles)がまず挙げられる(p.159-163)。しかしこれは共有地の悲劇を避けることのできたグループを経験的に観測して得られた経済学の議論である。進化生物学から学ばれるものではない。その6つは、(1)強いグループアイデンティティと目的の理解、(2)利益とコストの比例的公正、(3)全員による公正な意思決定、(4)行動の合意された監視、(5)段階的な制裁、(6)もめごとの迅速で公正な解決、(7)局所的な自律性、(8)多中心性ガバナンス(高次のガバナンス原理と相反しないこと)。


もちろんCDPが意味のないものであるわけではない。これらの原理は、グループが機能にするにとても重要なものと思われる。実際、著者は学校教育にCDPを反映させる実践を行っている。公立高校の落ちこぼれグループをCDPに基づいて組織し、成果を挙げている(p.168-174)。進化生物学者の仕事としては異例である。たしかに、学校に対する帰属感を持たせる(CDP1)、やらされるだけでなくリターンがある(CDP2, CDP3)、自分たちに任されている(CDP7)といった論点は、自主的で協調的なグループの組成原理として有効だろう。


あるいは、心理療法が進化学的観点から論じられている。物事の肯定的・否定的捉え方のような、世界に対する象徴的関係は、外界に生じる一連の行為を帰結する。すなわち遺伝子型と表現型に対応があるように、象徴型と表現型の対応があると進化論的に考えることができる。この象徴型と表現型の対応により、心理療法の有効性を進化論的に捉えることができる。具体的には、スティーブン・ヘイズのAcceptance&Commitment Therapyというものが論じられる(p.226-230)。ラカンの議論も同様に検討できそうな趣だ。


結局、グループが組織体として機能するためには4つのポイントが挙げられる(p.264-269)。(1)グループ内で利己的で破壊的な行動が生まれる可能性を抑えこむ。(2)生物学的な意味で、個々の行動は適切に規制(調整regulation)される必要がある。正常の範囲から逸脱しないための何らかのメカニズムが必要である。(3)全体の最適化は、構成要素の個別的な最適化では達成されない。どのレベルで生じる適応も、当該のレベルにおける選択プロセスを必要とする。マルチレベル選択理論。(4)グループの選択のうちで自然選択ではない人為選択、すなわち文化的なグループ選択は、もっと意図的で熟慮的なものにならなければならない。見えざる手は適切に構築されなければならない。自由放任主義はうまくいかない。


中央計画や自由放任では、組織(企業)は変化に適応できないというのは、本書が進化学から導き出す一つの大きな主張である。変異と選択の管理プロセスが必要なのだ。すなわち、達成すべき目標を持ち、それにより選択の規準が定められることであり、計画的および非計画的な、両方の変異を起こすことである。その好例として、アンドンを中心とするトヨタ生産方式が挙げられる(p.272-274)。ちなみに組織の進化まで考えれば、進化は方向性を持つことが言える。進化が方向性を持たないというのは、遺伝子を進化の中心的な様子をとして考えていた、昔の捉え方である。エピジェネティックスや文化的進化を考えれば、進化は方向性を持つことができると言っても良い(p.299-301)。


前半のマルチレベル選択理論までは面白かった。だが後半は組織社会学や経済学の議論が続き、それらは進化学的な観点から論じられているとはいえ、進化社会学の話とは見えず面白くなかった。

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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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