読んだ本をひたすら列挙。読書のペース配分とその後の読み直しのためのメモ。学而不思則罔、思而不学則殆。
およそ2年間にわたる『論究ジュリスト』誌上での座談会を収録したもの。テクノロジーと法をめぐり、9回の座談会の記録と、全体の振り返りからなる。テーマは、データ流通、スマートコントラクト、医療データ活用、専門家の役割、著作権、労働代替、サイバーセキュリティ、プライバシーとなっている。それぞれの回について、必ずしも法律の専門家ではないその道の専門家を二人招き、もともとの4名と合わせ6名で非常に多面的な議論を行っている。
座談会記録なので会話体ではあるものの、おそらくは共有されているであろう前提が語られなかったり、一つの論点がさほど長くは続かないなどがある。まとまった印象や議論を感じるのはなかなか難しい。いくつかの論点を拾っておく。
データポータビリティは国籍離脱の自由に近いという指摘(p.48, 67-69)。国内の移動の自由ではない。外国語を話せない人は、国籍離脱の自由の権利があっても現実にはなかなか使えない。しかし国籍離脱の自由があることにより、国家は逃げられないように良き統治を目指すように迫られるシステムである。ポータビリティや競争性の維持は、複数性を確保することで実効性を担保しようとする構想と考えられる。ポータビリティは実際に行使できる可能性は少なくとも、理念的に設けられていることで効力を発揮する。
暗号資産、ブロックチェーン上の残高は、抜身の交換価値(交換価値そのもの)なので、法的にはなんだか分からない正体不明のものである(p.96-99)。交換価値は直接には扱えないがゆえに、これまでは通貨というものに落とすことによって扱えるようしてきた。暗号資産は法的には債権か物権かで扱うしかない。しかし、分散所持されており、誰かが排他的に支配しているものではないブロックチェーンを物権として扱えるかどうかは難しい。例えばどうやって差し押さえるのか。この時には秘密鍵を差し押さえるしかないだろうが、すると物権として扱っているほうがやりやすくなる。
電子マネーの普及の黎明期に、そもそもお金を電子化することが法的に可能かという議論があった(p.140)。当時の法律の問題は、実はいまでもほとんど解決していない。しかし電子マネーにはチャージできる金額に上限を設けており、億円単位、兆円単位のお金が電子化された時の責任についての法律論は回避されている。医療データを始めとしてデータの活用にはこうした、ある小さな範囲に利用を限ることで問題を回避するアプローチが参考になる。
現時点でも、法人格なき社団にも著作財産権のみならず著作者人格権も認めている。するとAIを著作者として認めるかは、そのように設計して制度がきれいに動くかという問題しかないかもしれない。著作権法は人間の創造的活動を保護するというより、コンテンツ保護法として捉えたほうが一貫する。後者であれば、AIに創造性を認めるかという論点を相手にする必要がない(p.190-192)。
データをGAFAに独占させることはイノベーションを生んでいるように見えるが、データを個人の手に取り返すことで生まれる大きなイノベーションを阻害している可能性がある(p.234f)。GAFAはいわばデータの大地主で、これを小作農家に与えるデータの農地改革が必要である。実際の農地改革も、困窮化した小作農家の人道的解決という側面だけではなく、イノベーションの促進による生産性の向上を期待していた。
副題にある「パラダイムシフトは起こるか?」は何を示しているのかはあまり判然としない。どんなパラダイムがどうシフトするのか。一つ書かれているのは、下記のような話(p.31f)。自由で平等な均質な個人からなる社会を前提にし、ある種の画一的な処理をするような法体系が、現在の社会である。ここから、それぞれの能力ないし資質に応じた、特別な権利と義務という形へ、法体系はパラダイムシフトを起こすかもしれない。これはともすると、1級市民と2級市民というローマ法の区別、あるいはフランス人権宣言における市民と人の区別のように、先祖返りをすることかもしれない。
Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。
別館:note
コメントの投稿