

科学は、ラットの肝臓あるいは人間の肝臓ではなく、肝臓そのものを理解しようと努めているのであり、この事実は動かし難い。あらゆる器官やプロセスは私たちの種よりもはるかに古く、厖大な歳月を重ねて進化し、それぞれの生き物に特有の改変が少しばかりなされてきた。進化とはそういうものだ。認知だけが例外のはずがないではないか。認知が一般にどのように働き、その機能にはどのような要素が必要で、それらの要素がそれぞれの種の感覚系や生態環境にどのように調和しているかを突き止めるのが、私たちの最初の任務となる。私たちは、自然界に見つかる多種多様な認知のすべてを網羅する統一理論が欲しい。統一理論を打ち立てるというこのプロジェクトを行う余地を生み出すために、人間が唯一無二の存在であるという主張の凍結を私は推奨する。そうした主張の貧弱な実績を考えれば、今後数十年間、抑制すべき時期にきている。(p.210)
動物行動学の有名な研究者による一冊。実に豊富な例でもって動物たちの認知について語っている。ここで認知というのは、「感覚入力を環境についての知識に変えるという心的変換と、その知識の柔軟な応用」(p.20)である。人間と同じように、動物は環境が突きつける問題に対して解決策を見出し、行動する。その意味で動物の認知について語ることができる。著者は自分の研究分野を進化認知学(evolutionary cognition)と名付ける。現在の動物それぞれがもつ認知の仕組みは、環境に対処してきた進化の過程で培われたと考える。
動物が認知機能を持つという論点は、特に霊長類研究が盛んな日本だと普通に思われる。だがヨーロッパではそうではない。キリスト教思想の影響のもと、認知は人間のみがもつ機能であって、動物は一種の機械と考えられてきた。20世紀前半には行動主義の大きな影響があり、動物の認知について語ることは動物を擬人化して捉えることであり、科学の客観性を損なうものとしてタブーに近いものがあった。動物の認知は徐々に明らかになっていくが、「本当の」「高度な』認知は人間にしかない、などと振り戻しはいつでも起こる。動物の認知を認める研究者たちの第3世代に属する著者でも、多くの反発に合ってきた(p.346f)。認知能力の不在は証明できない(悪魔の証明)。しかし人間を他の動物から隔てるものを見つけたいと思うあまりに、研究者は慎重な態度をおろそかにしてきたのだ(p.187)。
動物行動学、進化認知学の課題は、もっと動物の身になって考えることである。そして各動物に特有の状況や目的に気づき、動物の立場から彼らを観察して理解することだ(p.359)。人間を基準として動物の知能と人間の知能を比較するのは時代遅れ。動物の知能は、他の動物の知能と比較すべきである(p.12)。動物の認知は、その動物が把握している環境(ユクスウェルの環世界Umwelt)で考えなければならない。例えばゾウは道具を使えないと長く思い込まれてきた。ゾウは長い鼻を使って棒を掴み、離れたところにあるバナナを取ることはない。ゾウは無類の嗅覚で取ろうとしているものが何なのかを感じ取る。棒を掴んでしまえば鼻が塞がれてしまう。ゾウがバナナを棒で取らないのは、道具が使えないのではなくてバナナを認識できないからだ。適切に課題を設定すれば、ゾウが道具を使えることを示せる(p.25f)。こうして動物の認知は、それぞれの動物の環世界に合わせて考えられなければならない。
動物行動学は動物の知能を認める点で行動主義と異なる。だが決して、動物行動学は動物を擬人化しているのではない。どちらも動物の知能の過剰な解釈に対する反発の表れである。どちらも動物の知能に関する逸話は避け、偶然性や観察者の主観性を避けている(p.59f)。行動主義では、行動は学習か生物学的特質のどちらかに由来すると考えられてきた。認知は行動の第三の説明となる。動物は環境が与えるアフォーダンスを理解し、それに適応して行動する。認知の発見は1913年、ヴォルフガング・ケーラーのテネリフェ島でのチンパンジーの観察に端を発する(p.87-89, 94f)。
なかでも動物行動学と行動主義的な比較心理学の二学派が和解し交流し始めたのは、1955年のアメリカの心理学者ジョン・ガルシアの研究がきっかけだ。ラットに有毒な食べ物を与えると、吐き気を催すのが何時間も後でも、ラットはたった一度だけでそのような食べ物を拒むことを学習する。これは学習は即時の報酬で行われるという行動主義的な原則に反した(p.78-81)。また特に道具は目的を念頭に置きながら、物を改変して出来上がる。これは偶然に利点を発見することを中心とする従来の学習という考え方では説明しにくい(p.106)。
こうして本書では様々な動物の様々な認知機能を、事例をもって明らかにしていく。類人猿や霊長類、ラットやゾウなどの哺乳類、タコなど頭足類。そして特にカラス科の鳥たち。認知機能も道具の使用、個体識別、言語、協調行動、他者の意図、エピソード記憶、自己認識、意志、将来の予期など多岐にわたる。なかでも類人猿の研究は大きな部分を占める。そこには「私たちに動物の文化という概念を教えてくれた今西と日本の研究者たち」(p.339)の研究が多く紹介される。
事例がふんだんに盛り込まれているため、こうした動物の認知の様を楽しむにはよい。ただ抽象的な整理はやや物足りず、具体的でよく分からないと全般的に感じた。石を入れれば水面が上がって餌が取れることを見出すカラスなど鳥類のすぐれた認知機能(p.117-140)。チンパンジーのアユムは写真記憶を持っており、200msほどで数字の配列を記憶する。人間の知能を最上位に置く偏見を破る(p.158-161)。隠したバナナが他者にばれないようにするチンパンジー、他者の呼吸を助けるバンドウイルカなど、他者への共感や相手の立場で考える(視点取得)こそ人間の特性とする思い込みへの反例(p.172-180)。種を超えたスジアラ(ハタの一種の魚)とドクウツボの共同した狩。ウツボがサンゴ礁の中に入り込み、逃げ出した魚をスジアラが捉える(p.262f)。上位のオスがいる場所で行動を抑制し、「忖度」するチンパンジーなど(p.290-301)。鳥たちはもちろん、雛のために自分の食餌を抑制する。ビンの開け方を覚え、人の顔を見分けるタコの知力(p.322-329)。本書の興味深い事例を挙げればきりがない。
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