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林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』


中央アジアで隆盛を誇った遊牧民である、スキタイ(前7~前4世紀頃)と匈奴(前2世紀~1世紀頃)について。この2つの民族・国家らしきものは、文字を持たずに固有の史料がないため、実像を探るのは難しい。スキタイについてはヘロドトス、匈奴については司馬遷を始め漢の史書が記録を残している。本書ではそれらに加えて、考古学的資料を多く用いて実像に迫っている。

特にスキタイは考古学資料が中心となる。まだ分かっていないこと、新たな資料の発見でそれまでの定説が覆ることが考古学には多くある。そのため、ときには学界の論争にまで踏み込んだ記述を行っている。記述としてスリリングで面白いのはスキタイの方。スキタイ文化を特徴づけるのは、動物文様、馬具、武具の3つ。特に初期のスキタイ美術は、スキタイ独自のものと言える(p.100f)。スキタイの支配地域には金山があり、金銀装飾を施したものは多く出土している。またスキタイは大きな古墳を残している。そのため、そうした古墳は多く盗掘の被害にあっている。スキタイの古墳への盗掘は17世紀にロシアがウラルを超えて進出してから始まっている(p.112-121)。その美術品はエルミタージュ美術館に収蔵されている。野蛮なのは近代人の方だ。

ただ、盗掘されたからこそ生まれた、アルタイの凍結墓というものもある。これは盗掘のために開けられた穴から水が入り込み、厳しい気候のもとで凍結したもの。そのため、水に浸かった木や皮、繊維製品など有機物の遺物がよく保存されている(p.130-133)。これも昨今の気候変動で凍結の保存状態は変わりつつある。これらアルタイの前3世紀中頃の古墳からは、ペルシアの影響を受けた装飾品も、当時の中国の戦国時代の鏡も出土している。まだ中国が西アジアやギリシアがお互いのことを知らなかった時代に、アルタイの人々はペルシア、ギリシア、中国をつなぐ草原ルートのシルクロードを形成していたことがうかがえる(p.137f)。

そのスキタイは前4世紀初めに、カザフスタンから西に移動してウラル山脈南部に本拠を置いた部族集団、サルマタイが徐々に強大になり圧迫され、その終局を迎えている(p.174)。

匈奴についての記述は、漢との戦争の記述が主。匈奴は漢と対等の外交関係を結んでいること、官僚組織が存在すること、租税徴収機構が存在することなどから、国家と呼べる水準にあったと評される(p.214f)。多数の配下の将たちの寝返りや、周辺の集団を巻き込んだ、幾度にもおよぶ対立の様子が描かれる。ただ基本的に漢の史書に依拠して、その戦いの様子を経時的に追っているのであまり面白みはない。匈奴の文化や政治経済体制などがうかがえればよかった。匈奴の場合、スキタイの記述と違って考古学的議論は少ない。匈奴時代の古墳は森林の中に、低く深く作られており、わざと目立たないことを目指しているようだ。王権を誇る必要がなかったという説明はつくが、前2世紀の匈奴の全盛期の王の墓は一つも見つかっていない(p.291-294)。

最後には民族大移動でヨーロッパを騒乱に巻き込んだ、フン族について扱われる。ゴート族はフン族に追い立てられるようにしてヨーロッパに進出した。フン族は匈奴と同一民族であるという説もあり、参考になる資料や史料が少ない中、現在の水準で言えることを検討している。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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