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藤井啓祐『驚異の量子コンピュータ』


量子コンピュータについて量子計算の一線の研究者が書いた一般向け解説書。この人は、2019年に話題になったグーグルの量子超越の論文を査読した人の一人(p.vi)。数式をまったく使わずに書いている。ただ量子の振る舞いそのものが常識に反するものなので、どうにも分かりにくいところは残る。歴史や現在の発展などは記述が明確だし、研究の現場からの視点もある。ただ肝心の仕組みについては分かりやすいとは言えない。

量子力学の歴史を述べたあと、19世紀のバベッジからコンピュータの歴史を説き起こす(p.18f)。量子コンピュータの発端は、ランダウアの原理に置かれている。計算の過程で情報の消去が行われない可逆計算のみですべての計算が行われれば、原理的にはエネルギーを消費しないという原理。これを物理的に実現するべく、1980年にポール・ベニオフが可逆性を潜在的にもっている量子力学を利用することを提案した。こうして計算と量子力学の距離が急速に縮まった(p.31-38)。

量子コンピュータと古典コンピュータの根本的な違いは、量子の状態が確率振幅であることに求められる。量子の状態は確率ではなく確率振幅で表される。量子には、重ね合わせとして分岐した可能性が再び集まり一つの状態となる、干渉という現象がある。この干渉は確率では表現できないため、量子の振る舞いを古典コンピューターで確率としてシミュレーションすることはできない(p.73-75)。量子ビットの状態を記述するパラメーター(確率振幅)は量子ビット数に応じて指数関数的に増えていくため、多数の量子ビットのシミュレーションは古典コンピューターでは不可能。50量子ビットでは、16ペタバイトのパラメーターが必要になる(p.78-80)。このあたりの確率振幅の凄みは、個人的には量子力学に明るくないのでいまひとつピンと来ない。

量子コンピュータの可能性を初期に示したのは、なんといってもショアのアルゴリズムだろう。ショアの量子アルゴリズムによる素因数分解は、チューリングマシンが最も効率よく解くことができる計算機であるという、拡張チャーチ=チューリングのテーゼに反する事実として衝撃を与えた(p.90f)。この次の大きなブレイクスルーは、しきい値定理にある。しきい値定理によって、ノイズレベルが一定に抑えられれば計算精度をいくらでも上げられることが示された。これは量子コンピュータにおける確率振幅という、アナログな量をデジタル的に訂正することが可能ということ。量子コンピュータが物理的に実現可能であることを示した革新的結果である(p.101-104)。

しきい値定理もそうだが、1990年代後半から2000年代前半は量子情報の理論など、理論面で華々しい成果が相次いだ。量子コンピュータは第一次ブームを迎える。しかし実験面でなかなか2量子ビットから増えず停滞を迎えた(p.104-107)。停滞の時代にも、ラウッセンドルフによるトポロジカル秩序を用いたトーラス符号、門脇と西森による量子アニーリング(これ自体は1998年)に基づくD-Wave社の開発が次のブームを用意した(p.108-115)。そして2014年のグーグルによる、マルチネスの研究チームの取り込みが第二次ブームの幕開けとなる(p.116-118)。量子超越の達成などいまはブーム真っ盛りの感があるが、量子超越からNISQ、そして誤り耐性量子コンピュータへ、といった量子版のムーアの法則(でも冪乗で増えていくということではなく、ただの開発ロードマップ)がある(p.139-141)。最後は雑多に応用例が書かれて終わる。

手軽な一冊だし歴史のところは読み応えあるが、それ以外はさほどといった印象。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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