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山道佳子、鳥居徳敏、木下亮、八嶋由香利『近代都市バルセロナの形成』


19世紀後半のバルセロナについて、都市計画、商業・経済、建築、絵画芸術の側面からテーマ別に論じたもの。基本的に歴史学のアプローチで書かれている。

近代から現在につながるバルセロナの形を作ったのは、何と言っても都市計画家サルダー(セルダ)だろう。ただ彼は同時代には評価されておらず、評価が行われたのは1990年代だというのは意外だった。その生涯について詳しく扱われている(p.27-33)。また、そもそも市壁を壊すことについて、19世紀前半、衛生学者・哲学者であるムンラウと聖職者バルマスの訴えが、バルセロナの世論を形成していったという筋もある(p.18-21)。

サルダーの計画はマドリードの土木技師委員会が決定しており、王令で承認されている。これに対して、バルセロナ市議会は自主性を無視して中央から押し付けられたプランだという反発を持った。その他、サルダーのプランが歴史的な旧市街と新市街区の間に連続性を感じさせないこと、デザインがモノトーンであること、道路の最低幅が広いこと、拡張工事は地主の負担で行うことなどから、バルセロナ市当局にも住民にも歓迎されていない(p.36-40)。

サルダーの計画は、合理主義者の悪趣味的な設計というのが当初の評価だったようだ。20世紀初頭になって、保守的カタルーニャ主義が広がる。カタルーニャ主義を率いる政治家であり、ノウサンティズマを代表する建築家であるカタファルクは、サルダーを批判している。バルセロナは西地中海の中心都市として、芸術性、美しさ、記念碑的デザインが必要だという思想を広める。こうして、モノトーンに機械的なサルダーのプランは忘れられていった(p.62-66)。

サルダーのバルセロナ計画とオスマンのパリ計画の比較は興味深い。2つの相違点がある。まず第一に、パリ改造は都市空間の階層化と住み分けを生み出したのに対して、サルダーは同地区に異なる社会階層の住民が混住することを意図していた。また都市の中を機能別に区分けするゾーニングの構え方を取っていない。これらのポイントは、後には実際にそうなっていくが、あくまでサルダーの構想としてはそうではない。第二に、オスマンのパリ改造は国家事業として行われたが、サルダーはあくまでも都市の受益者による負担を主張し、 個人のイニシアチブよって拡張を行おうと考えた(p.46f)。

しかしサルダーの計画が拡張地区アシャンプラを生み出し、そこに土地売買と建築の膨大なニーズを生み出した。インディアーノスたちによる、クレディト・メルカンティルという銀行を介したアシャンプラ地区の土地投資が詳細に書かれる(p.90-98)。インディアーノスたちは、一代の成金から貴族のような地位を目指し、家族戦略を練る。インディアーノスたちの財閥間での婚姻、また旧来からの貴族との婚姻による社会的地位の獲得(p.102-110)。

1888年のバルセロナ万博に向けた動きを扱った章はかなり面白く読めた。セラーノ・デ・カサノバという所縁もない人物から持ち込まれた万博案は、バルセロナを威嚇し続けたシウタデーリャ要塞の撤去と絡んで、市当局が大きく関わっていく。バルセロナの万博の準備はカタルーニャの建築家、技師、職人、製造業者たちが総動員され、まさにカタルーニャの総力が動員された準備であったといえる(p.131)。しかし、当の軍はバルセロナ市が要求してもなかなかシウタデーリャ要塞から立ち退かず、国が要塞を市に返還すると決定してから、実に20年近くが経過して万博の一般公開がすでに始まっている中でようやく立ち退いた(p.134)。こうしてシウタデーリャ要塞は解体されたが、ムンジュイックの丘の要塞は残った。ムンジュイックの丘がバルセロナ市に返還されたのは、さらにオリンピックを経て2007年だ(p.152f)。

1888年の万博は、台頭するカタルーニャの新興ブルジョワジーの経済力を誇示し、その主導で進められた社会秩序形成の一つの頂点をなすものと言える。ブルジョワジーが資金を、労働者階級が労働力を提供したという意味では一種の階級調和的な空間だったかもしれない。しかしその開催のために昼夜問わず仕事に駆り立てられた労働者たちは、自分たちの利益と労働環境を守るには団結が必要だということを学んだ。万博終了後は、物価は高騰し、大きな赤字を抱えたバルセロナ市は公共事業も実施する余力がなく、失業が増えていく。ゼネストやアナキストによる爆弾テロの世紀末へ進んでいく(p.156f)。

ついで、カタルーニャのムダルニズマのパトロンとなったインディアーノスたち、ロペス家とグエイ家を追う。アウゼビ・グエイの自己顕示欲は単なるブルジョアの自己顕示欲を超えている。カタルーニャの存在自体を世界にアピールする欲望になっている。そのためには近代バルセロナは他に存在しないユニークなものであるべき。ガウディを支援した意図はこうしたところにある(p.179)。建築についてはガウディというより、その師匠のマルトゥレイを中心にバルセロナの建築家の仕事を追っている(p.184-205)。

最後に絵画として、肖像画家カザスと、彼も設立に参加したカフェ「四匹の猫」の経過を追う。カザスは肖像画家というイメージだが、デモなど社会的テーマについてかなり写実的に書いたものもある。これは当時の他の画家にも共通するテーマ。社会的弱者の描写は、当時の画家の中で系譜を辿れる(p.226-238)。

細かい論点も多いが、個々のトピックに関心があれば興味深く読めるだろう。バルセロナ関連読書はこれにておしまい。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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