fc2ブログ

Entries

外尾悦郎『ガウディの伝言』


サグラダ・ファミリアで彫刻家を務める人によるガウディとサグラダ・ファミリアの紹介本。この類のものでは最も読まれている本だろう。彫刻家ということもあり、記述はエッセイ風でかっちりとはしていない。また自身もカトリックに改宗しているので、どことなく宗教的な雰囲気も漂う。

サグラダ・ファミリアについてはやはり詳しく、読んでいて面白い。そこにはガウディが実際に述べていることもあるし、著者が類推していることもある。ガウディは設計書や図面に基づくのではなく、模型を示して職人や建築家に自身で考えてもらうアプローチを取っていた。著者の類推もそうした線にある。例えば、ガウディの構想にはまったくなかった機能として、福音書家の塔に雨樋を設置したエピソードなど。聖書の物語から着想を得てデザインしている(p.142-146)。それは、サグラダ・ファミリアは石の聖書であり、建築や彫刻などによって聖書の非常に多くの物語が語られているからだ(p.150)。

サグラダ・ファミリアは楽器であるという観点は面白い。鐘楼、ピアノ、パイプオルガン、打楽器が据えられる予定。塔から聖堂本体に至るまでには、音をミックスするのに適した空間もある(p.21-23, 110-116)。ガウディの建築は曲線ばかりだということはよく言われるが、実際には幾何学的に直線で構成されており、それらが双曲線面や放物線面をなしている(p.45-47)。この時代のムダルニズマの建築家として、造形は自然の動植物に学んでいる。自然から学び、建物を自然に調和させること(p.95-107)。下は角柱、上は円柱となる柱は、二重螺旋からできており、これは植物、例えばシャクナゲに学んでいる(p.86-90)。

後半からはガウディの伝記。ここはさほど独特なものはない。カサ・ビセンスをガウディの原点として取り出している。イスラム風の建築様式であるムデハールや東洋的なもの、アールヌーボー的なものが混ざっている(p.199-204)。ガウディの天才性の一端として、機能とデザイン(構造)と象徴を常に一つの問題として同時に解決していることを挙げる。構造的にあまり強くないところに彫刻を配置して補強し、しかもその彫刻が象徴として全体と一体になっている(p.61-64)。ただガウディの天才性は同時代にはあまり理解されていない。アカデミーとも交わらず、独自の道を歩むため、苦々しく思っていた人も少なからずいた。1910年にパリでグエイの出資で「大ガウディ展」が開かれたが、同じ年にベルリンで開かれた「フランク・ロイド・ライト展」に比べると、的を射た評価は得られていない(p.234-239)。総じてガウディの天才性を際立たせる方向にあり、当時のムダルニズマのなかに置くような時代相対的な評価ではない。

この本の貴重な記述は、ガウディ亡き後にサグラダ・ファミリア建設を引き継いだ人たちについてだろう。ガウディの考えを職人たちに伝えるのに重要な役割を果たしたのは、ロレンソ・マタマラ。ガウディの学生時代からの親友で模型職人。グエイ公園内に父・姪と住んでいたガウディが1912年に独りになると一緒に暮らした。マタマラが亡くなった1925年、ガウディはサグラダ・ファミリアに住み込んだ(p.39, 245f)。スペイン内戦が終わり、カタルーニャは生活が厳しく建設資金もない中、徐々に建築を再開していく人々(p.272-274)。ただ、受難の門のデザインがガウディのものから変わっていること、大部分が石ではなくコンクリートになっていることは残念なこととしている(p.287-289)。コンクリートの使用により建設のペースが大幅に早まっているとはいえ。

スペイン内戦における混乱のなか、サグラダ・ファミリアにも狂気の刃が向けられ、特にロザリオの間が大きな被害を受けた。しかしなぜ人々がサグラダ・ファミリアに恨みを持ったのか、つまりカトリックの支配層に対する人々の反感についてのコメントはない。一部のアナーキストが蛮行に走ったような記述だ(p.120, 239, 269f)。カトリックはフランコ体制側についたので、カタルーニャの人々からは抑圧者になったはずだ。このあたりは著者の限界だろう。そもそもサグラダ・ファミリアが、もともと狂信的なカトリック保守派の集団であるはず。
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
https://exphenomenologist.blog.fc2.com/tb.php/1134-aaf05f97

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

別館:note

検索フォーム

QRコード

QRコード