

原題は"The Effortless Experience"で「努力なしの経験」だが、うまい邦題をつけたものだ。カスタマーサービスは顧客に感動を与えるべし、という話がよく聞かれる。おもてなしの心を持って、期待されている以上のサービスを提供して顧客を感動させること。それが当該のサービスへのロイヤリティの向上につながると。
本書は著者が属しているCEBという経営コンサルティングの会社が行った、ウェブサイトか電話でカスタマーサービスとやり取りし、内容をはっきり記憶している97000人超の顧客へのインタビュー結果(p.36f)が元になっている。その結果は、企業が社会通念として信じてるのとは違って、顧客の期待を上回るサービスを提供しても顧客ロイヤリティにはほとんど変わりはないことを示している(p. 41-46)。顧客満足度とロイヤリティの間の決定係数は0.13しかなく、顧客満足度はロイヤリティの予測因子ではない(p. 49-53)。
顧客を感動させるサービスというと、本書の冒頭にあるリッツ・カールトンのキリンのジョージのエピソード(p. 23f)が典型だが、そんなものはほとんどの顧客は求めていない。むしろ、こうしたサービスは逆効果だ。顧客に意外で喜ばしい経験を提供することは、ほぼすべての企業にとってサービス戦略がより所としてはならないことと言える。顧客が本当に求めているものは、努力いらずの体験effortless experienceだ(p. 23-27)。つまりカスタマーサービスに面している顧客はなにか問題や課題があり、それが面倒なく解決されることを求めている。担当者をたらい回しにされたり、曖昧な回答しか返ってこなかったり、言われたことをやるとまた別の問題に直面したりすると、その企業へのロイヤリティは下がる。言い換えるとディスロイヤリティ(そんなサービス二度と使いたくない、という気持ち)が上がる。
カスタマーサービスの役割は顧客を喜ばせてロイヤリティを向上させることではなく、顧客のディスロイヤリティを緩和すること。そのためには問題解決のために顧客が投じなければならない手間、つまり努力の量を減らすこと(p. 60-65)。「一言で言うと本書のテーマは顧客努力を減らしてディスロイヤリティを緩和することである」(p. 71)。
非常に納得するポイントだ。個人的な話だが、この間、リッツ・カールトンでの宿泊を検討していて、候補の部屋の設備が一部不明だったのでメールで問い合わせた。けれども担当者は単に回答できないと返し、その次には予約できるかどうか分からないと回答できないと返した。こちらは空いてなければ宿泊日を変えることもできるのでまったく不要な前提と思いつつ、当該の部屋は泊まろうとする日に空いていると指摘すると、担当者が変わって、あとで回答すると来た。それから一ヶ月以上、回答はない。この途中で私はあなた方の対応はリッツ・カールトンのサービスレベルでは到底ない、と指摘した。結局、努力を費やしつつも私の課題は解決せず、回答を待たずに宿泊は別のホテルを予約した。そして私のなかでのリッツ・カールトンのブランドは相当に低下したし、その経緯と悪い評判はこうしてウェブ上で公開される。
顧客ロイヤリティを最大限に得られる企業とは、「取引しやすい相手」だ。それはつまり、情報を簡単に検索できたり、信頼できる情報を提供したり、選択肢を簡単に比較できたりすることを意味する(p.372f)。なぜ感動させるサービスやおもてなしではなく、顧客の問題解決の努力を削減することがポイントなのか。それは、いまはもうすべての世代でセルフサービスファーストになっており、顧客がカスタマーサービスに面する時はセルフサービスで問題が解決しない時だからだ。顧客がセルフサービスより生のサービスを望んでいるとするのは思い込みにすぎない(p.84-101)。私のケースでも単に公式ページにもう少し詳細な情報があればよかっただけだ。カスタマーサービスに問い合わせなければならない時点で、すでにマイナスからのスタートだ。感動させるチャンスとかではないのである。
本書は400ページくらいあるが、ほとんどの部分は、こうした努力いらずの経験を顧客に提供するために、企業、およびそのカスタマーサービスはどうあるべきかがずっと書かれている。例えばそもそも、見やすいFAQやチャットボットの整備などで、顧客を最も努力いらずの経路に導く方が、はるかに顧客ロイヤリティを回復し、最高の顧客体験を生み出す可能性がある(p. 117)。
コールセンターでの電話応対が記述のメインになっている。顧客が電話をかけてきた現在直面している問題を解決するのではなく、再び電話をかけなくて済むようにするという「次の問題回避」戦略の重要性(p.152-166)。顧客の感情的な側面への対処の必要性。顧客が問題解決のために行う努力と労力は別で、努力と感じたかどうかが問題なのだ(p. 176-182。注意深く選択した言葉遣いで会話をコントロールして、顧客が会話をどう解釈するかを改善すること、これを「経験工学」と称している。そのアイデアとしては、顧客の立場に立つアドボカシー、肯定的な言葉遣い、アンカリングがある(p.186-192)。顧客を4つのプロファイルに分類すること。フィラー、エンターテイナー、シンカー、コントローラー。問題が解決すればいいだけの人なのか、共感を求めているのか、主導権を握りたいのか、など(p. 218-227)。
一流のカスタマーサービスを生むためには、カスタマーサービスの担当者に主導権を渡すことが何よりも必要だ。マニュアル化やチェックリスト、AHT(Average Handling Time)など決まった指標で評価してはならない。セルフサービスが普及した今では、複雑な問題だけがカスタマーサービス担当者に残されているから画一的な対応は定義できず、その都度の担当者の発想に対応を任せるしかない(p. 230-235, 252-267)。
カスタマーサービス担当者に特に必要な資質は著者がコントロール指数と呼ぶもの、つまり感情のレジリエンスだ。顧客から感情的な対応をされても、すぐに切り替えて次の対応に入れるなど。これは個人の資質に見えるが、著者は仕事の環境によるという。その要因は、担当者の判断が信頼され尊重されていること、会社の目標と担当者の仕事の整合性、担当者が互いにサポートし合うネットワークの存在だという。これらは管理部門から作り出すことはできない。自然に発生するよう環境を整えるしかないものだ(p. 240-284)。
見ると、これらは通常のカスタマーサービスでも重視されるものだろう。おもてなし系のカスタマーサービスでも、担当者を画一的に評価しないこと、顧客の感情面への対処、担当者に権限を与えて信頼することなどはとても重要だ。ある面ではそうした、特に他と変わらないことを説いている。
ただ、ディスロイヤリティの緩和には顧客努力を軽減することが効果的だから、顧客努力を測定しなければならないとして、顧客努力指標(CES)を提唱している。CESはその会社のおかけで問題の対処が容易になったかどうかを聞く。あくまで問題の解決にフォーカスした聞き方。ロイヤリティについてはNPSが有名だが、NPSは総花的な評価。製品の質なども評価の理由になってしまう。NPSは顧客努力だけを測ることはできない(p. 290-303)。顧客の努力を削減するカスタマーサービスを実現するための行動を記した、アメリカン・エクスプレスのCOREスコアなどが好例として挙げられている(p. 350−357)。
本書はカスタマーサービス、特にコールセンターに定位して書かれているが、顧客の問題解決への努力を削減すべし、という話はそれに限られない。リアル小売店舗、製品における顧客努力の削減の話は最後に少しだけ出てくる(p.364-371)。例えば、機能を詰め込みすぎてボタンが多くなりすぎたテレビのリモコンなど、顧客努力をまったく削減しない製品と言えるだろう。顧客の苦痛を取り除くこと、スムーズなUI/UXなど、現在のサービスのデザインはまさに顧客努力の削減へと進んでいるように見える。顧客もサービス提供側も幸せにならない、おもてなしという名の過剰サービスが無くなることを願う。分厚い本書を読もうとする層にはあまりに狭いと思うものの。
顧客努力は、コンタクトセンター戦略というよりむしろ包括的なビジネスコンセプトである。使いやすい製品を製造し、顧客が簡単に購入できるようにサポートし、努力がそれほどいらないサービスを提供できる企業は、顧客ロイヤリティという大きなリターンが得られるだろう。(p. 374)
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