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潮博恵『オーケストラは未来をつくる』


とてもうまく書かれた一冊。サンフランシスコ交響楽団と、1995年より音楽監督を務めるマイケル・ティルソン・トーマスについて。単に音楽面だけでなく、オーケストラの経営、地域との関わり、若手の教育、テクノロジーとの融合など多くの側面から描かれている。最後には関係者のインタビューも含んでいる。著者は物書きを専門とする人ではないようだが、その辺のジャーナリストよりずっとまとめ方はうまい。

サンフランシスコ交響楽団は特にティルソン・トーマスが音楽監督に就任してから飛躍的な発展を遂げ、世界有数のオーケストラに育っている。だがそれは音楽監督と楽団員だけで成し遂げたものではない。サンフランシスコ交響楽団の発展は、きわめてアメリカ的な市民参加による組織や資金調達のしくみ、そして高度なアート・マネジメントが結びついてはじめて実現したもの(p.11)。アメリカのオーケストラは、フィランソロピー、音楽、アドミニストレーションの3つの要素からなる(p.22)。アメリカの特徴は、特にこのフィランソロピーに基づくオーケストラの経営層が大きな役割を担っていること。オーケストラのコントロールの最終権限を握るのは、経営者などからなるボード(理事会)。楽団員がコントロールするベルリン・フィルやロンドン響とは大きな違いがある(p.26-28)。

オーケストラの経営といっても、そこはアメリカなので関わる人が違う。例えばボードにはかつて、トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマンといったマッキンゼーの有名コンサルタントもいて長期経営計画を作っている(p.55)。執筆当時のボードの議長も、保険会社を経営していたスタンフォードのMBAホルダー(p.244)。

アメリカのオーケストラの基本構造を述べた後、まずは楽団結成からの歴史を追う。1909年に市民によって設立されたこのオーケストラは、1935年に楽団は経営危機に陥る。この時は、市から補助金を支出して生き延びる。1936年から理事会のプレジデントを務めた女性、アームスビーの活躍で復活を遂げる。後に有名になる作品の初演や、ピエール・モントゥーの音楽監督への招聘がきっかけとなり、最初の黄金期へ向かう(p.45f)。その後、小澤征爾などを経て、サンフランシスコ交響楽団の世界的な活躍はブロムシュテットが基礎を作り、ティルソン・トーマスの才能で開花したイメージがあるが、実際には30年かかって一歩一歩実現したものだ。専用ホールの建設と改修、経営運営人材の確保、音楽教育の提供などが鍵とされる(p.50)。

経営は何の問題もなかったわけではなく、他のオーケストラにもよくあることだが、経営層と楽団員の対立も生まれている。1996年シーズンは楽団員のストライキで公演が中止になっている。これを受け、ボード、スタッフ、楽団員が紛争解決のテクニックを学ぶワークショップを受けたり、楽団員の契約更新時にハーバード・ロースクールの交渉の専門家にアドバイスを依頼するところがアメリカらしい(p.61f, 252f)。しかしこうして危機を乗り越え、市民から支持されるに至ったオーケストラは、現在のところ収入の45%が寄付。それも富裕層の大口寄付だけでなく、12000人を超える個人からの小口寄付でなっている(p.36f)。

第二章は立役者マイケル・ティルソン・トーマスの歴史を追う。このアイデアと行動力に溢れた人物がどのようにサンフランシスコ交響楽団にたどり着いたか。ウクライナ出身のユダヤ人家系で、祖父はニューヨークでイディッシュ語の劇場を運営。父母はハリウッドで映画関係の仕事に従事。幼少から多様なジャンルの音楽、エンタテインメントに触れて育つ。必ずしも正統ではないクラシックの触れ方をしてきたマイケル少年を、矯正することなく育てていく音楽家に恵まれる。この章は特によく書けており、ティルソン・トーマスのことがよく分かる。

ティルソン・トーマスのビジョンは三つにまとめられる。アメリカ人作品の重視、専門知識なく楽しめるクラシック音楽、そして音楽が終わった後に残るものの大切さ(p.102-110)。この章で最高のエピソードは、ボストン響時代の1973年、スティーヴ・ライヒをはじめてカーネギーホールに引っ張り出したところ。聴衆は騒然となり、演奏をやめさせようとする拍手や、ステージ前まで叫びに来る人も。まるでボレロや春の祭典の初演ような聴衆の反応だ(p.90-94)。

第三章は教育機関としてのオーケストラの試み。地域の小学校やアマチュアの巻き込み方。小学校では予算削減を受け音楽教育が縮小しており、オーケストラが代替となっている。そして有名な作品を解説したドキュメンタリーと演奏からなるテレビ番組、Keeping Scoreについて。音楽にとどまらない、総合的な芸術家としてのティルソン・トーマスが伺える。

第四章はテクノロジーとのかかわり。まずは自主レーベルの創立。そしてサンフランシスコ交響楽団ではないが、ティルソン・トーマスの試みとして、次世代の音楽家を育てるためのマイアミのニュー・ワールド・センター。これはかのフランク・ゲーリーによる設計(p.196)で、きちんと何をしたいかを決めてから建物が建てられている(p.205)。また、グーグルの全面的な協力を得て、YouTube上でオーディションを行い、コンサートを配信したユーチューブ・シンフォニーもある。これはぜひ見てみたい。

最後はインタビュー集。経営層の、未来のオーケストラを再定義しようとするビジョンや、新しいことに前向きなベイエリアの気質との親和性(p.245)、オーケストラはエンタテインメントとして、スポーツチームと競争している(p.248)といったところが気になる。

一つあるとすれば、現在サンフランシスコ交響楽団が抱える課題や問題についてはあまり出てこない。おそらく、市からの補助や協力をより強化したいという点。また大きいのは、ティルソン・トーマスの後だろう。インタビューで少し懸念が現れている(p.230f)。現在、ティルソン・トーマスは2020年までで、後任としてペッカ・サロネンが決まっているようで、これがもっとも大きな懸念点となるだろう。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
コンサルティングファームに所属。数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。しかし博士号は取らず進路変更。以降IT業界に住んでいる。

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